WOTONAKICHI
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貝を拾って自分で食うと、なぜかこの世が好きになり、世界は輝きだし、生きている実感が湧く

偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「貝を拾って自分で食うと、なぜかこの世が好きになり、世界は輝きだし、生きている実感が湧く」。まくるめさんが書かれたこの記事では、自分で食料を手に入れることで得られる「生きる実感」への偏愛を語っていただきました! 現代人には生きる実感が必要 みなさん。生きている実感を持っていますか? 「生きている実感」というと大げさに聞こえますが、要するに自分が能動的に世界と関わり、その結果として生を得ているという感覚のことです。こう書くといかにも大げさですが、「私、生きてるなあ」って感覚です。ネットにドはまりしていると足りなくなる成分ともいえますね。 この情報化社会において、ちょっと気を抜くと「生きる実感」というのは足りなくなってしまいます。五感から入ってくる多すぎる情報の波を処理するだけで脳は疲れてしまい、体感が置いてきぼりになり、ややもすると脳と目は疲れているのに体はだらけてバランスを欠いてしまいます。、私などは典型的なそういうタイプです。 これは現代病とも言うべき非常に危険な状態だと思います。そしてその果てには気分の落ち込み、やる気のなさ、無力感、突発的な殺人などの恐ろしい結末が待っているといえましょう。 上記の通り、私も典型的なそういうタイプだとお伝えしました。 しかし私は同時に、危険な状態だという点においてぼちぼちだといえます。 なぜぼちぼちだと言えるのかというと、自分なりに生きる実感を得る方法を知っているからです。それを皆さんにお伝えしようと思います。 生きる実感を得るには 私が考える「生きる実感を得る方法」、それは「自分で食べ物を手に入れ、食うこと」です。こう書くと「そんなことみんなやってるよ、この無職め」と思うかもしれませんが、わたしがここで言っているのは、もっと直接的な方法です。つまりおもに「採集」のことです。 多くの人は普段、仕事でお金を稼ぎ、それで食料を買っていると思います。仕事をすることでお金が得られ、そのお金で食べ物が買えます。考えてみるとなかなか不思議なことではないでしょうか。それは普通のことで資本主義の偉大なしくみといっていいのですが、同時に間にお金という媒介物がはさまっているわけで、つまり「直接的ではない」といえます。 多くの人はそのしくみにうまく適応できているんだと思います。 ただ……ここで個人的な話になりますが、私はどうもこのしくみに脳がついていっていないところがあるんです。というのも、なんかお金に対して脳がうまく反応しないんですよね……。 物書きという仕事でこんなことを言うと罰当たりというか、「何言ってんだ」ってなると思うのですが、まあちょっと我慢してください。わたしはおもに文章関連でお金を稼ぐというか、もらっているわけですが、なんか「文章を書くとお金がもらえる」という仕組みに脳がぜんぜんぴんと来てないんですよね。 仕組みについて簡単に言うと、以下のようになります。 文章を書く → 金 → 食料を買う → 食い物 もちろん理屈としては完全に理解しているはずなんですが。脳の本能的な部分では「文章を書く→食い物」の部分がつながっていないんですよね。つながっていたら、腹が減ったら文章を書きたくなるはずなんですがそうはならない。 それに対して、先ほど述べました「採集」は違います。 採集 → 食い物 はい。非常にシンプルであることがお分かりいただけたでしょうか。こちらのしくみには私の脳はとてもすんなり反応します。 これに初めて気づいたのは、今では私の春の趣味になっている潮干狩りに行った時のことです。貝を掘りながらわたしは気が付きました。 「あれ? 自分でもびっくりするぐらいやる気が出るぞ?」 脳の報酬系の本来の使い方 ぶっちゃけ、潮干狩りは損得で言うとさほどワリには合わないんです。潮干狩りに行く準備の手間とか、交通費とか考えたら、どう考えてもその時間バイトをしていたほうが得なわけです。たぶん同じ時間バイトをしていたらそのぶんのお賃金で十倍の貝が得られると思うんですよ。 でも、やる気の出方は段違いに潮干狩りなんです。時には貝で手を切って手が血まみれなのに、夢中で貝を掘っていたこともあります。それぐらい夢中になれたのです。 それから、いつもとは違う慣れない動きをするものだから当然背中とか腕とかが筋肉痛になったりするわけですが、不思議とふだんよりも頭の中がスッキリするというか、いい気分が何日か持続しました。 そして自分で採取してきた貝も、泥抜きとかけっこう面倒なわけですが、ふだん食べているものよりも格段に美味しく感じたんですね。味だけではなく、「食べている実感」がある。 つまり、前述の通りお金を稼ごうという時にはうまく働かなかった私の脳が、潮干狩りにはやたらうまく適応できたんですね。しっくりきたというか。 なぜそうなのか? これは自分なりに考えた仮説ですが、脳の報酬系というものが関係していると思います。最近では一般にもよく使われるようになった「報酬系」という言葉。専門的な話をする気はないので、ここではざっくり「やる気や意欲に関わる機能」ということで話を進めます。 自分の考えでは、人間の脳のこの報酬系というのは、もともとは野外で食料を集める行動にかなり最適化されているのではないかなと、そんなことを考えたんですね。 現代に近づくにつれてどんどん技術が進歩して便利になっていくわけですが、脳も含めて人間の身体というのはそんなに急に遺伝子が変化するわけでもないので、まだ狩猟採集時代のなごりのしくみがいろいろ残ってるわけです。 報酬系というのは人間の行動の色々な面に関わるわけですが、たまに「本来の使い方」つまり「自分で食料を集める」ことに使ってやらないと、特に自分みたいな人間は報酬系がバグって無気力になるのではないかな。と、そんなことを考えたのでした。 自分で食料を集めるチャレンジとリスク そんなことを思った私は、自力で食料を集めるということを積極的にやってみることにしました。人に教わったり自分で調べたりしながら、たとえばその辺の草を料理してみたり、前述の潮干狩りのほか、自家栽培にもチャレンジしたりしました。自分は狩猟や釣りは運動神経的にも体力的にもちょっと無理なので、地味なのが中心です。あと、セミとかも食いました。 ただ注意しなければいけないのは、自然は別に人間にやさしいだけではないですから、当然リスクもあります。たとえば野草であれば、食べられる草もあれば当然毒草もあります。下調べのほか、自信がない時は大事をとるということが大切です。 ただ、過剰に恐れるのも困りものであり、正しい理解が必要になります。毒草というのも基本的には少数の例外(ウルシとか)をのぞけば、基本的に食わなきゃ平気です。正しい知識が大事です。 あまり知られていませんが、潮干狩りの貝も、有毒プランクトンによって毒になることがあります。これについては国が調査を行い調査結果を公表していますので、潮干狩りに行く前には必ずチェックします。 自家栽培はそれほど危ないことになることはそうそうないでしょうが、たとえば小児が学校などで栽培したジャガイモのソラニンにあたる事件などは起こっています。油断なりません。 このように、自力で食料を手に入れようとすると面倒が多いし、別にそれで毎日の食卓が賄えるわけではありませんが、前述の通りこれは脳をシャキッとさせるのが目的なので、それでよいとします。   まとめ このように、雑草を食べるなどすると脳がシャキッとするということを述べてまいりました。あと、文明が崩壊したときに生き残る確率も多少高くなります。 そんなわけで、私としてはぜひ読者諸兄に雑草をむさぼり食ってもらったりしてほしいわけですが、同時に本当にリスクには気をつけてください。基本的には詳しい人に教わったほうがいいと思います。 あと余談ですが、アブラゼミは美味しくないですがニイニイゼミは美味しいです。ただ食うところはめちゃ少ないです。

「日本スゴイ番組」が合わない人でも少しだけこの国を好きになれる、珠玉の名作映画10選

偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「「日本スゴイ番組」が合わない人でも少しだけこの国を好きになれる、珠玉の名作映画10選」。海燕さんが書かれたこの記事では、日本の美点を味わえる映画への偏愛を語っていただきました! あなたは、わが日本の「良いところ」といえばどこを思い浮かべますか? もちろん、この問いには千差万別の回答がありえることでしょう。わりあい多くの人の支持を集めそうな答えを想像するなら、生まじめで礼儀正しいとされる国民性、清潔にととのえられた日常空間、それに世界有数の犯罪率の低さ、治安の良さといったところでしょうか。 そういった要素は、「良くないところ」と表裏一体といえるかもしれませんが、それでも、この国に住むわたしたちがありがたく享受している「日本の美点」であることは間違いありません。 とはいえ、最近、テレビ番組などでことさらにくりかえされている過度に日本のすごさを称揚する論調には付いていけないものを感じる人も少なくないはずです。 べつだん、この国を嫌いなわけでなくても、あまりに「日本スゴイ!」と絶賛されると白けてしまう。そういう心理は特別なものではないでしょう。 しかし、そういう人であっても、たとえば映画や小説のなかでその登場人物の目を通して日本の「ちょっと良いところ」を見せられると、「住みやすそうなところだな」と感じたり、「なんて綺麗な場所なんだろう!」と感心したりすることがあるはず。 そこで、この記事では、そういった「ふだんはなかなか気がつかないわが日本のささやかな美点」をさまざまな視点から描き出した映画を10位から1位まで10本紹介し、少しだけ「この国を好きになれるかもしれない」と感じていただきたいと考えています。まずは、第10位から始めましょう。 10位『しあわせのパン』 https://www.youtube.com/watch?v=XjA480U_TSY 『しあわせのパン』。そこまで有名な映画ではないかもしれませんが、なかなかの秀作です。風景の魅力という意味では、この作品を超える日本映画はなかなかないでしょう。 それもそのはず、この作品の舞台は北海道、それも洞爺湖が見られるあたりなのです。北海道の雄大な土地を背景に、四季折々の物語がくりひろげられます。まさにタイトル通り、観るとしあわせになれる映画といえるのではないでしょうか。 これもまたひとつの「日本の風景」。たとえば今回は映画縛りということで取り上げなかったドラマ『日常の絶景』などと合わせると、面白いマリアージュを楽しめるのではないかと思います。 9位『マイマイ新子と千年の魔法』 https://www.youtube.com/watch?v=KhCGMcTvix0 『この世界の片隅に』の片淵須直監督による『アリーテ姫』に続く長編アニメーション映画です。『この世界の片隅に』ほどの知名度はないかもしれませんが、これもまた圧倒的に面白い! 正直、見るまえはどうせ「教育的」で「道徳的」、つまりエンターテインメントとしては退屈なシロモノなんでしょ、などと思い込んでいました。そんな自分を殴りつけてやりたいほどの圧巻のクオリティ。 何より印象的なのは作画のみずみずしさです。かつてはあった昭和、そして平安といった過去の時代の日本の風景が、秀抜なアニメーションによって再現されています。 片淵映画の特徴である「異常なまでに精緻な考証」はここでもぼくたちを映画のタイムマシンに乗せてくれるのです。 8位『天気の子』 https://www.youtube.com/watch?v=rzKcrJ77wBY 8位に新海誠監督の『天気の子』を持ってきてみました。説明は不要でしょう。数年前、日本だけではなく東アジア全体で大ヒットを記録した傑作。おそらく、現時点での知名度という意味では、今回あげた10作品のなかでも最高かもしれません。 この映画の魅力は、新海監督の「天才の目」を通した東京の風景の美しさにあります。いままで東京や日本の都市をとくべつ綺麗だと思ったことがない人(だいたいそうなんじゃないでしょうか)も、この映画を観るとその神秘に魅了されてしまうはず。 同じあたりまえの風景であっても、観る人によってこれほど違う。そういう、ある意味では残酷なほどの真理を教えてくれるという意味で、新海映画の魅力は尽きません。 7位『リトル・フォレスト』 https://www.youtube.com/watch?v=c7FZlyAeNyI わが日本はいまや世界でもちょっと「食」にうるさい国、というポジションを獲得したように思えます。いわゆる「贅沢な美食」の素晴らしさもさることながら、より日本を象徴しているのは日常的な食文化の豊かさ、楽しさ、そしてまた美しさでしょう。 この「夏・秋」、そして「冬・春」に分かれた『リトル・フォレスト』二部作は、その「食」の充実を思わせてくれる一作。 この映画について、ストーリーを解説することには意味がありません。ただ、そこで延々とくりひろげられる「日本の食の風景」を舌なめずりしながら観つづけることに意味がある、そんな映画です。世に「美味しい映画」は数ありますが、個人的にはそのなかでも一、二を争う傑作。オススメです。 6位『ちはやふる』 https://www.youtube.com/watch?v=ZjNlJLjDzjk 6位は『ちはやふる』。この映画を取り上げたのは、いわゆる「学園もの」、それも「部活もの」からひとつ採っておきたかったからです。 「部活」という日本独自のシステムには功罪があり、ぼくなどは面倒だからと逃げまわっていたほうなのですが、一方でアニメや映画などを通して諸外国の人々を魅了するユニークな概念でもあります。 その部活ものの最高傑作という意味で(『劇場版けいおん!』や『THE FIRST SLAM DUNK』と迷った末に)『ちはやふる』を選んだのは、われながら適切な選択だと思います。 とにかく一作の青春映画としてこれほど面白い作品はまずないのではないかと思うくらいの出来。何十巻もある原作をタイトな三部作にまとめあげた高度な脚本技術を味わってみていただければ。 5位『乱』 https://www.youtube.com/watch?v=uqG3X9ocJ1s 5位は『乱』。いわずと知れた巨匠・黒澤明の名作です。今回、この記事の企画を立てた段階で時代劇をひとつふたつ入れようと考えていました。アニメ版の『源氏物語』や、溝口健二の作品なども考えたのですが、やはりここはということで世界のクロサワから選ぶことに。 黒澤映画には他にも無数に名作があるわけなのですが、「日本的な美」を感じさせるという意味ではこの『乱』が最高なのではないかと思います。 ストーリーテリングの充実という意味では過去の作品に及ばないとしても、映像的な意味では数ある黒澤映画のなかでもまさに珠玉といって良い映画。異常なまでに洗練された「日本の美術」を心ゆくまで味わえる一作といって良いでしょう。 4位『ピース・ニッポン』 https://www.youtube.com/watch?v=yS2VS4lEOls 4位は『ピース・ニッポン』です。これは数年もかけて「日本の47都道府県の風景」を撮って撮って撮りまくり、それらをみごとに編集して、一本の映画に仕上げたもの。 始まりからしてかぎりなく美しいパウダースノーの原野がひろがり、その後も小泉今日子と東出昌大のナレーションによって紹介されながらさまざまに綺麗な風景が続きます。 今回取り上げた他の作品とくらべ、「ささやかな美点」というよりは「美しいわが日本」を大上段に掲げた作品という印象をあたえるかもしれませんが、まあ、それはそれで良いでしょう。じっさい、綺麗だし。 こういった日本の妙なる自然、文化はいつまで続くのでしょうか。いつまでも守っていきたいものだと思わせるものがあります。 3位『WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~』 https://www.youtube.com/watch?v=WkzdZdo8Jtg これ! この映画、好きなんだよなあ。「日本の林業」をテーマにしたライトでカジュアルで、でも深みのあるコメディです。 「え、林業ってそれ、映画になるの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、じつはちゃんとなっているんです。この映画を観れば、林業という産業が(いくらでも映画に描かれていない問題点があるには違いないにしろ)、数百年ものタイムスケールを感じさせる雄大なものであることに気づかされるでしょう。 主役の染谷将太の演技が素晴らしく、観ているといつのまにか都会人の視点から「林業サイド」の視点へ移行させられてしまいます。 2位『舟を編む』 https://www.youtube.com/watch?v=0kwCc-1o1lc 『リトル・フォレスト』や『ピース・ニッポン』といった映画は「日本食」、「日本の風景」の「ささやかな素晴らしさ」を感じさせてくれる映画ですが、「日本語」に着目してみると、この『舟を編む』がオススメできるのではないかと思います。 「辞書づくり」というとても映画になりそうにない題材をキュートにまとめ上げた物語が絶品。この映画を観たあとは、いつもより少しだけ言葉遣いに気をつけるようになるかも。 ちなみに、NHKで放送されたドラマ版も、この映画とはまた異なる筋立てながら、非常に完成度の高い仕上がりでした。NHKオンデマンドなどで視聴できる環境の方は、そちらの作品もオススメです。 1位『青春18×2 君へと続く道』 https://www.youtube.com/watch?v=K8vBWQayWPc そして栄えある(ないかもしれないけれど)第1位は『青春18×2 君へと続く道』です! いやもう、これくらい日本の「ちょっと良いところ」、あるいは「ささやかな美点」を思い知らさせてくれる映画は他にないのではないでしょうか。 主人公は、長いあいだ経営していたゲームメーカーを追われてしまった台湾人の若者。かれはそれを機に、かつて恋した人が住んでいた日本を旅してまわります。 そこでかれを待っていたのは大好きなアニメ『SLAM DUNK』の「聖地」や、岩井俊二の映画『LOVE LETTER』で観た美しい風景。かれはその旅のなかで過去の哀しい思い出と対峙していくことになるのです。 が、そういう映画の筋立てとはべつに、この映画の良さは台湾人主人公の目線から、日本人がなかなか気づかない日本の良さを感じさせてくれるところでしょう。観終えたあとは見慣れた日本の風景も意外に悪くないかもな、と思えるそんな傑作です。 【ほんの少しだけ、好きになる。】 さて、いかがでしたでしょうか。この記事で取り上げた10作は、当然ながら相互に何の関係もない作品ばかりなので、どれから観ていただいてもかまいません。 いわゆる「メジャーどころ」からは外れた作品も多いので、一部の熱心な映画ファンを除けばすでに観たことがある作品ばかりというわけにはいかないかもしれませんが、もし良ければぜひあたらしい扉をひらいてみていただきたいものです。どの作品からも、「日本のちょっと良い感じなポイント」を見つけだすことができると思います。 わが日本には、もちろん、たくさんの課題や社会問題が山積しており、決して「美しいだけの国」、「素晴らしいだけの国」とはいえないかと思います。それでも、その「ささやかな美点」をちょっとずらした視点から見てみるとき、「良いところだってたくさんあるのだ」というあたりまえの事実に気づかされます。 これはもちろん、日本だけの話ではないでしょう。そもそも自分たちの生きているあたりまえの人生や日常をフィルムに切り取り、とくべつなものとして見せてくれる、そういう魔法があらかじめ映画にはそなわっているのだと思います。 この、あらゆるコンテンツが安価かつ簡単に入手し消費できるようになった時代において、なお、わたしたちの多くがわざわざ映画館へ足をはこび、そのくらやみのなかで、一とき、映像の夢にひたろうとするのは、その魔法をどこかで信じているからなのではないでしょうか。 そしてそれは、日本のすごさ、素晴らしさを大上段に掲げる書籍やテレビ番組とはまた違うやりかたで、この国の魅力を知らしめてくれるのです。 「住めば都」。どの国であっても、そこに住む人はその場所に愛着を抱き、「ささやかな良いところ」を見つけだして誇るものですが、ぼくもひとりの日本人として、少しでも日本を良いところにしていきたいと考えています。映画の魔法はそんなぼくもふだんは忘れ切っている「この国の少しだけ魅力的な風景、人々、文化、歴史」を思い出させてくれるのです。 それはまさに他の国と比べて優れているの劣っているのと論議する必要もないくらいナチュラルな良さ。これらの映画を観終えたとき、きっとあなたもほんのわずかこの国を好きになれていると思います。 ぼくはそれだけで十分以上にたいしたことだと思うのですが、いかがでしょうか。もし良ければあなたの思う「ちょっと日本を好きになれる映画」を教えてください! そこにもきっと、「だれかが少し好きな日本」が映し出されているのでしょうから。

成人男性が「美少女戦士セーラームーン」にハマって、魂の額に三日月の刻印を刻まれるまで

偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「成人男性が「美少女戦士セーラームーン」にハマって、魂の額に三日月の刻印を刻まれるまで」。かんそうさんが書かれたこの記事では、アニメ『美味しんぼ』への偏愛を語っていただきました!) 今回は、『美少女戦士セーラームーン』にハマった成人男性の末路をお伝えします。齢30超えてセーラームーンにどハマリしてしまった‥‥‥。 ある情報によればここ数年、セーラームーンにハマる男どもが続出しているらしい。乃木坂46によるセーラームーンミュージカルの公演(2018年 ・ 2019年再演・2024年再演)が大きな理由の一つと言われていますが、俺はまったく違うルートからセーラームーンの魔力に取り憑かれてしまいました。 忘れもしない6年前の2月、映画『美少女戦士セーラームーンR』(1993年公開)を偶然観たことがキッカケでした。それまでの俺は「セーラームーン?笑止」と、どこかセーラームーンに対し穿った印象を持っていました。 しかし、映画を観終わった瞬間、あまりの面白さと感動に膝からだらしなく崩れ落ち、大粒の涙を流しながら「月の光は愛のメッセージ……月の光は愛のメッセージ……」と呟くだけの化物になってしまいました。 セーラー戦士全員をもれなく好きになってしまう唯一無二のキャラクター性と、「愛と友情」という普遍的なメッセージを真正面から描く、ファンだけでなく初見でも楽しめるストーリー。そしてそれを支える過感情を揺さぶられる劇伴、たった60分弱の上映時間に文字通り「全て」が詰まっていたのです。 日本アニメ映画における最高傑作のひとつ 特に俺が心臓をブチ抜かれたのが終盤、セーラームーンが敵であるフィオレに「地球かセーラー戦士4人かどちらかの命を選べ」という究極の選択を投げつけられてしまう。そしてフィオレは冷たくこう言い放つ。 「この世に生まれたことを不幸だと感じたことのないお前たちになにが分かる。仲間が、友達のいない寂しさがお前たちに分かるか。誰にも理解されないものの寂しさが分かってたまるか」 この言葉に囚われていた4人が反応する。セーラーマーキュリー(亜美)は頭の良さを周りから疎まれ、セーラージュピター(まこと)はその腕力の強さを怖がられ、セーラーヴィーナス(美奈子)はセーラーVとして1人で戦ってきたことを好奇の目で見られ、セーラーマーズ(レイ)は霊感の強さを気味悪がられてきた…。 そう、いつも明るく振る舞っていたセーラー戦士たちにはそれぞれの孤独、それぞれの地獄を抱えて生きてきたという過去があった…。しかし、そんな孤独から救ってくれたのが、他の誰でもないセーラームーン・月野うさぎ、だった…。 うさぎは、ドジでおっちょこちょい、頭も要領も良くはない。しかし、周囲を元気にする太陽のような明るさ、そして誰に対しても偏見なく接する優しさを持っていた…。 勉強ばかりしている亜美に「遊ぶ時はちゃんと遊ばないとダメでしょ!」と真剣に怒ってくれるうさぎ……神社で巫女として仕えるレイに「レイちゃんってがんばり屋さんなんだ!」と心から尊敬するうさぎ……周囲から恐れられてきたまことに話しかけ「あんた、あたしが怖くないの?」と言われても「へ?なんで?」とあっけらかんとするうさぎ…セーラーVとして一人戦っていた美奈子に「カンドー!憧れのセーラーVちゃんが目の前にいるなんて!」と目を輝かせるうさぎ……。 うさぎの何気ない一言に、行動に、どれだけ4人が救われてきたか……。ただ、敵を倒せるとか、戦いに勝てるとかそういうことじゃない。これがセーラームーンの真の「強さ」……。 ……ということが、うさぎのフルネームすら知らなかった俺に一発で理解(わか)らせられました。間違いなく、日本アニメ映画における「最高傑作」と断言できる作品のひとつ。セーラームーンを舐めていた過去の自分を殴りたい。泡を吹いて気絶するまで月にお仕置きしてほしい。 ……みたいな内容を鑑賞後に速攻で自分のブログにしたため旧ツイッターに投げたところ、セーラーウラヌスの声優を務める緒方恵美先生にリツイートされてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。ウラヌス様の必殺技ワールド・シェイキングで跡形も無くなりたい。 それからというもの、しばらくセーラームーンのことしか考えられない日々を送ってきました。アニメ版はもちろん、原作漫画も全てコンプリート、主題歌は全曲ダウンロードし歌詞を丸暗記。2022年には東京六本木で行われた「セーラームーンミュージアム」にわざわざ現住所の北海道から行くなど、自分でも信じられないほどセーラームーンにのめり込んでいったのです。「地球」の読み仮名は完全に「くに」になってしまいました。 本当に知れば知るほどにブラックホールのような引力がセーラームーンにはありました。初期アニメ、リメイク、映画、原作版、実写と、同じセーラームーン作品にもかかわらず、それぞれまったく違う魅力のある映像作品、一度聴いたら二度と忘れることができない楽曲群、多角的に展開されたグッズの豊富さ、とハマる要素がまさに「星の数ほど」あるのです。 そんなセーラームーンの魅力をここで今さら語るのもアホらしいですが、あえて言わせてもらうと私が最も心を狂わされた要素は 「俺のことマジで1ミリも眼中にない」 セーラームーンはいつだって「女の子」のためだけに存在している 俺が最も好きなシーンを紹介させてください。コミックス9巻 Act.59。今までにない強大な敵・シャドウ・ギャラクティカによってセーラージュピターもセーラーマーキュリーもやられてしまった。セーラーマーズ(火野レイ)と、セーラーヴィーナス(愛野美奈子)は心が折れそうになりながらも、その決意を新たにする。 レイ「わかるの、いままでの戦いとは違う。今度こそ帰っては…」 美奈子「ストップ!誓ったよね、二人を助け出すって。あたしたちはいつだって同じ。仲間を助け!敵をたおし!たいせつな人を守る!今度も同じ!そして、かならず生きてここへ帰ってくる!そして高校生活へ復帰して!今度こそカレシをつくるっっ!!これでキマリッ!!やっぱオトコよっ♡中学んトキもけっきょく一人もできなかったし…そんなヒマなかったしー、だからこそ今度こそスリーライツみたいなかあっこいい♡ダーリンをつくるのっ!もちろんキープくんも!!そんでもって思いっきりデートしまくっていちゃいちゃしまくって、フツーの女子高生するのよっっっっ、あたしたちの究極の夢ッッ!やっぱこれしかないでしょーーっ!!」 ?「うそばっかり」 バッ! 夜天光「もう心にきめた人がいるクセに」 夜天光「その人のために生きるって決めてるクセに」 美奈子「……ばれちゃあ……しょーがないわね」 美奈子「そうよ。もうとっくにあたしには、命をささげたたった一人の人がいるわ」 (美奈子……!) レイ「……そうよ。だからわたしたち、男なんかおよびじゃないのよ。わるい?」 ……美奈子が言った「命をささげたたった一人の人」とはセーラームーン(プリンセス)のことなんですが、恋に憧れる普通の女の子でありながら、同時に戦いの宿命を背負ったセーラー戦士である2人の覚悟、そしてどれだけセーラームーンのことを大切に思っているかが、伝わる最高のシーンです。このシーンを読んだ時、あまりの眩しさに両目が焼かれ黒目に三日月のマークが刻印されてしまいました。 そう、セーラームーンはいつだって「女の子」のためだけに存在している。決してわれわれ汚い成人男性に向けられてない。それがいい。だからこそ、セーラームーンという作品は美しく、強くあり続けてくれる。本当に俺のような体毛の濃い男のことなど一生無視してくれて構わない。俺はセーラー戦士たちの視界に入らないほど遠くからアホみたいな顔して眺めていられればそれでいい…。 俺のことは「海野」と呼んでください。

「闇の心理テスト・エニアグラム」を知りたい方へ愛好者が深淵をお見せしよう

偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「 「闇の心理テスト・エニアグラム」を知りたい方へ愛好者が深淵をお見せしよう」。トイアンナさんが書かれたこの記事では、エニアグラムへの偏愛を語っていただきました! あなたは、闇の心理テスト「エニアグラム」をご存じでしょうか。多くの心理テストが「その人の強み」を軸に分析しているのに対し、エニアグラムは「その人が何にとらわれているか」でタイプ分けします。 エニアグラムを受ければ、自分の弱点を知り「落ち込む前に休んでストレスを回避する」ことができるようになります。かつてはソニー、アップル、P&Gなどで採用された実績を持つ心理テストですが、弱点を見つめすぎると気分が落ち込むため、最近は採用されていません。 Xでバズっていたエニアグラム診断ページがあるので、まずはぜひお試しください。 https://mentuzzle.com/shindan/report/9ennea ここからは、診断結果をある程度ご覧になった方向けに……そして、診断結果をもとに「もっと自分について知りたい」と思った方へ向けて、エニアグラムを偏愛して7年目になるトイアンナが、簡単に解説いたします。 エニアグラムのタイプ1「正しさにとらわれる人」 エニアグラムのタイプ1は、「お前は間違っている」と言われると、急にカチンときます。なぜなら、自分は正しくあらねばならない、というとらわれに捕まっているからです。これを書いている筆者はタイプ1ですが、まるで天から啓示を受けたかのように正義感をそなえつけられており、自分自身すらその正義に振り回されています。 たとえば、私が媒体運営のお仕事を引き受けるとします。他のライターさんへも委託して共同で原稿を仕上げることになるわけですが、ここでライターさんを搾取することができません。 たとえば、駆け出しライターは1記事300円などという「最低賃金とは?」な謝礼額で書かされることもよくあるのですが、私はその金額で依頼をすることができません。それは別に私がいい人だからではなく「正しくない」と感じているからです。 上記は単に良い例でしたが、「正しさ」は人それぞれ。独善的なルールもありますし、それを押し付けたらモラハラ一直線です。 エニアグラムのタイプ2「人助けにとらわれる人」 人助けにとらわれる……って、別にいいじゃん! と思いますよね。けれども、エニアグラムのタイプ2は「人助けをしない自分には価値がない」と感じやすいのです。つまり、相手の気持ちに寄り添うことでしか、自分を維持できない不安を抱きます。 ですから、「人から反対されてもやりたいことをやっていいんだよ!」と言われると立ち止まってしまいます。また、助ける人がいない場では、遠出してまで大変な目に合っている人を探しにいき、助けようとするしぐさを見せることもあります。SNSでわざわざしんどそうな人を探しては、「大丈夫? 相談に乗るよ」と下心なくリプライしている人たちです。 また、タイプ2は尽くす対価として「感謝」を求めるのですが、感謝を求めていることを自覚したくありません。自分はマザーテレサでいたいのに、実は「ありがとう」がないとやっていられないのです。ストレスが溜まりまくると「こんなに尽くしてやったのに!」とキレてしまいます。 エニアグラムのタイプ3「他者より成功することにとらわれる人」 他人と比べていいものを持ちたい。金額ではない。センスのいいもの、上質なもの、本質的なもの。エニアグラムのタイプ3はそういう感覚を持つ方です。ですから、服装はフォーマルでありつつセンスある逸品を選びますし、ブランドに対して自分なりのこだわりを持っています。いっぽう、誰も知らないし、デザインもダサいけれど自分だけが愛しているからいいの! といったものは選びません。タイプ3には常に「他者目線」があり、他者と比べて自分が上に立つことに、とらわれているのです。 タイプ3は出世しやすく、モテやすいです。なぜなら、社会的な成功が、自分のとらわれにあるからです。しかし「社会的に成功できなかったとき」一気にダメージを負います。一発逆転を夢見て仮想通貨にベットしだしたり、成功していない自分を見せたくないからと、経歴上は「留学」ということにしながら、海外で寝るだけの日々を過ごしたり。 タイプ3にとって、「成果じゃなくて努力が大事」とか「ありのままでいいんだよ」という言葉は、慰みにしかなりません。下手にこんなことを言ったら、侮辱ととられるかも。 エニアグラムのタイプ4「特別であることにとらわれている人」 普通でいることに苦痛を感じるタイプです。「あなたって、案外普通なんだね」と言われて、ホッとする人と憤慨する人がいますが、エニアグラムのタイプ4はまさにムっとするタイプ。社会とのかかわりを保つうえで、自分が尖った個性を持つ特別な存在であれば、孤立せずにすむと考えているのです。 恋愛においても「世界にひとつしかない変わった関係性」を求めます。ドラマが必要なのです。そして、そのドラマにどっぷりはまっている自分のことを愛しています。特別な関係へ共に耽溺してくれる人を愛しますし、「普通の恋愛」「普通の結婚」に直そうとする人を嫌います。 争いは好まないので、一人の世界に閉じこもって空想にひたるか、絵や音楽など創作を通じ発散するか、あるいは旅に出ます。エニアグラムと芸術的なセンスは無関係ですから、アーティストとして大成するタイプばかりではありません。そのため「世界が自分へ強いてくる普通らしさ」と、自分の尖っていたい願望とのはざまで揺れ動きます。 エニアグラムのタイプ5「情報を知ることにとらわれている人」 未来はわからない。だから、調べることで対処しよう。そうして生まれたのが、エニアグラムのタイプ5です。たとえば、近隣のお店へ行くのでも、そのお店のレビューや最適ルートを調べずにはいられません。当日の天気、周りにもっといいお店はないか……。知っておくことが、タイプ5にとっては防御となるのです。 会議室や飲み会では一番隅に座りがち。全体を見て「知っておける」からです。ただ、タイプ5の面白いところは「人から知るよりも、本のほうが信頼できる」と信じている点にあります。人間関係をわずらわしいと感じると、本の世界に引きこもってリサーチ魔となります。そして「この本にあったデータで、○○と書いてあったので、そのままやっておきますからもういいです」と議論のシャッターを閉じます。 聞き上手ではありますが、他のタイプよりも人へ深い関心を持ちません。そのため、できれば自分の知りたいことのために時間を思い切り使いたい、ひいては人との接点を少なくしたいと思いがちです。 エニアグラムのタイプ6「誰も自分を導いてくれないことにとらわれている人」 優れたリーダーがいてくれたら、その人の忠実な部下となりたい。そう願うのがエニアグラムのタイプ6です。といっても、リーダーの素質は常にチェックしていて、変な人間には従いたくありません。また、さまざまな人へ相談は行うものの、本当の答えは心の中に持っています。優柔不断に見えますが、芯が通っているのです。 「自分の責任で何かをやって間違えるのが嫌」「自分で決めたくない」「偉い人が決めてくれたら、粛々と従う」といったタイプ6の傾向は、ザ・日本人っぽいといわれます。 タイプ6のとらわれは、まだ起きていない不安に身をゆだねてしまうこと。もし○○だったらどうしようと、いつも未来を悲観的に想像します。また、調子が悪くなると権威にすがりたくなるので「有名人の○○さんと友達で……」「この案は、部長の○○さんにも認められていて」と、自分ではない誰かの言葉で、自分を正当化しようとします。 エニアグラムのタイプ7「楽しさにとらわれている人」 人生は楽しくなくっちゃ! というのが、タイプ7のありようです。エニアグラムにおいては「楽天的であらねばならない」と考えます。 エニアグラムのタイプ7にとっては、人生は有限で、人はいつか死にゆくものである……という未来が恐ろしいものに見えます。だからこそ今を思いっきり楽しまなくてはいけないのです。YOLO(You only live once - 人生は一度きり)というのは、まさにエニアグラムのタイプ7っぽい言説です。 エニアグラムのタイプ7は「楽しくない仕事、楽しくない人間との付き合い」に全く耐えられません。ずっと愚痴を言っている人といると、自分まで気分が落ち込んでしまうからです。努力、未来、A BEAUTIFUL STAR! Xにいるやたら明るい自己啓発的アカウントは、タイプ7が「楽しさに追い詰められている姿」ともいえます。 エニアグラムのタイプ8「統率することにとらわれた人」 「死は恐ろしい。だが、この場を統率すればそれに抗えるはずだ」と、不老不死を求めた秦の始皇帝みたいなことを考えたのが、エニアグラムのタイプ8です。タイプ8には独特の圧があり、周りをおののかせます。笑顔でも霊圧とかプレッシャーを対面で与えるタイプです。いいリーダーなら劇場版のドラえもんに出てくるジャイアンとなりますし、悪いリーダーなら暴君となります。 タイプ8にとって、人から支配されることは大きな不快感を伴います。特に、部下からの裏切りを許せません。自分が守るべき対象だと思っている相手が、自分を支配しようとしてくるからです。部下を守るために社内の敵を次々と倒し、結果として部下がそのありようにドン引きして他部署に行ってしまう……。といった苦悩を抱えがちです。 また、自分の意思を持たない生き物が苦手なので、「相手にゆだねたい」と答える人を詰めてしまい、結果としてパワハラと受け取られやすくなります。孤独なリーダーにならないためには、本人の努力が必要なのです。 エニアグラムのタイプ9「平穏にとらわれた人」 エニアグラムのタイプ9は、「平穏でありたい」という願いを持っています。世界平和……というよりは、変化のない世界です。まるで自然の中に一体化して、風が流れるのをただ感じているだけのような……。そういう森羅万象に溶け込むような平和な日々を望んでいます。飲み会では率先して空気になりますし、ブラック企業ではその空気に溶けてブラック社員になれます。 エニアグラムのタイプ9は変化を起こしたくない。つまり、「何も決めたくない、抵抗したくない」というとらわれを抱えています。たとえば、本当は恋人と別れたくても、会社を辞めたくても「いいや、もう」と投げ出したくなるのです。その結果、DVを受けていたり、サービス残業でこき使われていたりしてもナアナアで済ませようとします。 「放っておいたら、事態は悪化するばかりだから早く動いて」と言われるのが、タイプ9にとっては苦痛でたまりません。「そういう意見もあるよね」「その通りだよね」と言いつつ、テコでも動かないのがエニアグラムのタイプ9なのです。 エニアグラムのとらわれを知り、自分が危うくなるサインを知る こうして、自分の欠点をあげつらっていくエニアグラムを見ていると、それだけで落ち込む方もいると思います。しかし、大事なポイントは「欠点を直す」のではなく、自分のとらわれを知り、「あ、最近ちょっとメンタルやばそう」と気づくことなのです。 たとえば、エニアグラムにおいては「自分のメンタルが落ちこみ始めると、自分が最も傷つく言葉を相手へ投げかけてしまう」という法則があります。(これを鉛の法則と言います) ですから、自分が最もとらわれている言葉を知ることで、自分が危なくなっているサインに気づけるのです。 エニアグラムのタイプ別、落ち込んだら人にぶつけてしまう言葉 タイプ1:あなたは間違ってる タイプ2:あなたのことが嫌い タイプ3:なんでそんなにできないの? タイプ4:代わりはいくらでもいるんですから タイプ5:私が調べておくので何もされなくて結構です タイプ6:「あの人っておかしくない?」と噂する タイプ7:そのアイディアは私たちのやりたいことと違うよね タイプ8:あ? いいから言うことを聞けよ タイプ9:うーん、そうですかね こういう言葉や態度をとりたくなったら、自分がムっとしていたり、落ち込み始めたりしているサインです。たとえばタイプ1の私は、Xで自分に喧嘩を売ってきた人とレスバしたくなったら「そんなことしてないで、寝ろ」というサインになるわけですね。ここまで分かっていてもたまにやってしまいますし、それこそが私もエニアグラムにとらわれている証でもありますが。 大切なポイントは、サインに早く気づくこと。そして、相手と関わるのをやめて寝るなり休みを取って遊びに行くなり、気分転換へ力を入れることです。 エニアグラムのタイプ別、自分の気分を上げるために使える言葉 逆に、エニアグラムのタイプに寄り添った言葉を自分へかけてあげれば、モチベーションを上げることもできます。ぜひ、朝出かける前や寝る前に、自分の健全度を上げる言葉をかけてあげてください。 タイプ1:今日もよく頑張った!偉い! タイプ2:私のおかげで今日も元気だよ、ありがとう タイプ3:今日の自分も素敵!センスがいい! タイプ4:今日選んだこれ、目の付け所がいいね タイプ5:よく知ってるね、こんなに詳しいの自分くらいじゃない? タイプ6:よくやってて偉いよね、しっかりしてるよ タイプ7:私と一緒にいると周りも楽しくなっちゃうね タイプ8:周りも私のことしか話さないくらい、尊敬してるってさ タイプ9:一緒にいると落ち着くね こんな風に、自分で自分に声をかけていいのです。 「闇の心理テスト」ことエニアグラムは、ハリーポッターでいうなら「闇の魔術の防衛術」でもあります。単に自分が何にとらわれているかを知ることが目的なのではなく、そこから身を守り、自分のメンタルをいい感じに保つためのヒントをくれているわけです。 エニアグラムについてもっと知りたい! と思った方のために、さらなるおすすめサイトを紹介します。 ひよ子くん&フクロウくん/ひよ子くんとフクロウくんの性格タイプ ひよこくんとフクロウくんの対話形式でわかりやすくエニアグラムを説明してくれるブログ。 本を買われるなら、初心者はまずこちらから。鈴木秀子さんは、日本随一のエニアグラムの専門家です。 https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E7%89%88%E3%80%8C9%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%A0%BC%E3%80%8D%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%81%A7%E3%80%81%E5%80%8B%E6%80%A7%E3%82%84%E8%83%BD%E5%8A%9B%E3%82%92%E6%9C%80%E5%A4%A7%E9%99%90%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8B%E3%81%99%EF%BC%81-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E7%A7%80%E5%AD%90-ebook/dp/B01HZG9K52/ref=sr_1_10?adgrpid=153675077940&dib=eyJ2IjoiMSJ9.0wvV5fqZkTXpHfrYpBovfPbKQAj_TEkD2cC7ONzqIIqTWu736AV-GG-5WbsSHcp_YlxCGqPftwGc1ViKkuZcElF11jHq6agNNtVfyh-EBlHOTUhskR7dqCX4320y4Zlav9GLas0kSAq2REyM9MJ0wrK2BPtqBj-cWBkNU-u-iaEQth9E2GH9ZaQMv-JLwUMqCpp62kAwRBKLy2bgN_v4yZLiU5wdEDrgMduM90_bXDPjCbTONnNdP2am2SnLLChxgkfXfNMIZbqH466z4YcXuc5vnIz9Lfg64ZsLENGmA7U.SWw5xfeR_F6DLQiTzVazSV3fgY-fIgeiyQCH9Q1yC_0&dib_tag=se&hvadid=671523264455&hvdev=c&hvlocphy=1009306&hvnetw=g&hvqmt=e&hvrand=7322866191673863181&hvtargid=kwd-667048880389&hydadcr=1310_13596567&jp-ad-ap=0&keywords=%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0+%E6%9C%AC&qid=1727503407&sr=8-10 もっとしっかり勉強したくなったら、エニアグラムの創始者であるリソとハドソンの本を。 https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%80%90%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%B7%A8%E3%80%91-%E8%87%AA%E5%88%86%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%8B%EF%BC%99%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%97-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%9B%B8%E5%BA%97%E5%8D%98%E8%A1%8C%E6%9C%AC-%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%BD-ebook/dp/B07PX4PW3R/ref=sr_1_7?adgrpid=153675077940&dib=eyJ2IjoiMSJ9.0wvV5fqZkTXpHfrYpBovfPbKQAj_TEkD2cC7ONzqIIqTWu736AV-GG-5WbsSHcp_YlxCGqPftwGc1ViKkuZcElF11jHq6agNNtVfyh-EBlHOTUhskR7dqCX4320y4Zlav9GLas0kSAq2REyM9MJ0wrK2BPtqBj-cWBkNU-u-iaEQth9E2GH9ZaQMv-JLwUMqCpp62kAwRBKLy2bgN_v4yZLiU5wdEDrgMduM90_bXDPjCbTONnNdP2am2SnLLChxgkfXfNMIZbqH466z4YcXuc5vnIz9Lfg64ZsLENGmA7U.SWw5xfeR_F6DLQiTzVazSV3fgY-fIgeiyQCH9Q1yC_0&dib_tag=se&hvadid=671523264455&hvdev=c&hvlocphy=1009306&hvnetw=g&hvqmt=e&hvrand=7322866191673863181&hvtargid=kwd-667048880389&hydadcr=1310_13596567&jp-ad-ap=0&keywords=%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0+%E6%9C%AC&qid=1727503407&sr=8-7 こちらは結構ぶ厚いので、覚悟してご覧ください。

気候変動についての小説を愛している…!

偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「気候変動についての小説を愛している…!」。冬木糸一さんが書かれたこの記事では、気候変動小説への偏愛を語っていただきました! 昨年に続き今年(2024)も記録的な猛暑が続く。7月19日に那覇市では36度を記録し、これは134年前の1890年から統計をとりはじめて以降初めてのことだという。 近年よく話題になる単語に、気温や気象パターンの長期的な変化を指す「気候変動」がある。地球環境、特に最高気温は様々な影響を受ける(CO2の量から太陽の活動の変化火山活動など)から、こうした記録のひとつひとつを「気候変動で世界がヤバい」と騒ぎ立てる必要もないとはいえ、世界の平均気温が年々上昇しつつあるのは事実だ。 現在の気候モデルの推測によれば、地球の平均気温は2100年には産業革命前より3℃から4℃高くなる。世界が「気候変動」の渦中にあるのは、間違いない状態だろう。 気候変動の影響は「夏が暑くなって嫌だなあ〜」だけでは終わらない。仮に4℃気温が上昇したとすると、水温が高くなって海水の体積が膨張するので海面が上昇し、乾燥や砂漠化が進むことで多くの都市は──中国東部の川や帯水層は干上がり、アフリカ南西部は砂漠化と火事が進行する──居住に適さなくなるとみられている。 海面も2メートルほど上昇するので、ポリネシアなど多くの地域、都市は海中に水没する。これはすでに現実的な危機になっていて、サンゴ礁からなる国「キリバス」では、水位が危険なレベルに達したので国民全体を他国に移住させる準備を進めている。国は国民のためフィジーに土地を購入し、新天地で生計の手段をみつけられるよう、国ぐるみで支援を行っているのだ。 気候変動を扱った小説が世界中で増えている背景 現在、そうした世界的に進行している気候変動危機と連動するように、気候変動をテーマにした小説も増えてきている。海面上昇や水不足、山火事がよりリアルな危機となって人々の生活を襲っている、欧米では特に増えている傾向にある。それは、彼らにとってもはや現代や未来について描写するにあたって「気候変動」の要因を考慮に入れないことは不可能な状況だからなのだろう。 というわけで──前置きが長くなってしまったが、今回は気候変動を扱った近年のおもしろい小説を4点、切り口をわけて紹介していきたい。なぜ様々なテーマの小説がある中であえて気候変動なのかといえば、それはやはりこのテーマが今盛り上がっていて続々とおもしろい作品が多数集まってきているからだ、というのが答えのひとつになる。 また、気候変動とそれに伴う危機はいま・ここの問題であり、読んでいて自分との繋がりを強く感じるはずだ。筆者も気候変動は近年いちばん注目しているテーマで、フィクションだけでなく何十冊ものノンフィクションも読んできた。気候変動と一言でいってもそこには多様な論点──動物から農業、経済、電気自動車、エネルギー施策に気候工学──が関わってきて、知りたいことも切り口も尽きない。当然小説としても気候変動テーマの扱い方は多様であり、その自由さが魅力なのだ! さて、ここからは気候変動の切り口ごとに長篇や短篇を紹介していこう。 動物 最初に紹介したいのは、日本の作家陣による「地球」をテーマにしたSFアンソロジー『地球へのSF』に収録されている、関元聡の短篇「ワタリガラスの墓標」だ。切り口としては気候変動下における”動物”になる。物語の舞台はおそらく現在から100年ほど未来の南極の国連基地で、そこで働くエンジニアの女性が語り手となっている。 彼女の他にその基地には生物系研究者のリンがいるが、この二人の会話から、未来がどのように変化したのかが断片的に明らかになっていく。たとえば、南極の氷は100年前に比べて40%以上が融解し、荒れ地が出現。そこには草木も生えはじめ、その葉を食む虫や動物、果てにはかつて絶滅したと思われていた赤道近くの種も現れるようになっていて──と、変質してしまった未来の生態系と、そこに人間はどのように介入すべきなのか(またはすべきではないのか)といったテーマが描き出されていく。 地球の気候が変わると生物は住んでいた場所を追われる。それは確かだが、彼らもまたこの地球で何百、何千年と生きてきた種なのであり、ただ黙って消えるだけでもない。新しい環境に移動したり、短期間に進化を経ることで、適応するものもいるのだ。本作は、そうした自然生物、生態系の秩序が描き出していく、雄大な一篇だ。 海面上昇 続けて紹介したいのは、ギリシャで書かれたSF作品の傑作短篇集である『ノヴァ・ヘラス』(竹書房文庫)に収録されているヴァッソ・フリストウ「ローズウィード」だ。物語の舞台はギリシャのアッティカ地方にある港湾都市ピレウスが海面上昇によって沈没してしまった未来。海面上昇が日常となった情景を描き出すSF短篇である。 ピレウスにはギリシャ最大の港が存在し、2004年にはオリンピックの会場にもなった場所だ。しかしだからといって海面上昇から逃れられるわけでもない。この物語の世界では、経済危機が続き対策も満足にうてなかった結果、水没した土地になってしまっている。物語の語り手のアルバは、この水没した都市、建物に潜って情報収集を行っているダイバーだ。そしてある時、アルバのもとに、”水没した都市をめぐるテーマパーク”建設についての依頼がやってくる。 本作を読むと、たとえ都市がひとつ水没してしまったとしても、それですべてが終わってしまうわけではないことがよくわかる。それをビジネスとして利用しようとする人もいれば、水没した後も守ろうとする人々もいる。そうした、”都市が水没した未来”を、ありありと想像させてくれる一篇だ。 国際情勢 続けて紹介したいのは、MITにて地球科学博士号を取得し、大学長や博物館館長を担当してきた地質科学者ジェームズ・ローレンス・パウエルによる『2084年報告書』だ。 タイトルにも入っているように2084年の未来を舞台に、世界がどのような状態になったのかを淡々と口述記録のスタイルで記していく”フィクション”だ。中でもおもしろかったのは、「気候変動後の国際情勢」が記されたパートとその視点だ。気候変動によってもちろん地球の「環境」は大きく変化するのだが、地球環境が変化すると同時に国家間の力関係や立場も変わってくることが、本作を読むとよくわかる。 たとえば本作の世界ではインドとパキスタンは2050年から戦争状態に突入しているのだが、それは水の支配権をめぐってのことだと語られる。パキスタンはインダス川の下流、インドは上流にあるので、水の支配権は実質的にインド川にある。水が豊富に流れている間はよいが、水が枯渇し始めるとその支配権は国民の命に直結することから、容易に命がけの戦争に発展してしまう──。他にも山火事や海面上昇によってアメリカからカナダへ不法移民が増えて両国間の関係性が悪化するなど、本作(『2084年報告書』)では無数の国際情勢の変化が描き出されている。 これらはあくまでも”フィクション”だが、気候変動という今まさに進行している事象が関わることで、嫌な説得力が与えられているのだ。 人類 「気候変動にたいして、人類はどのような対策がとれるのか」というテーマで真正面から気候変動と向き合ったのが、科学的な要素の強い小説群を発表してきたSF作家キム・スタンリー・ロビンスンによる『未来省』だ。2024年現在、日本語で読める作品としては本作は「気候変動テーマの小説」の中では最注目の作品である。 物語は2025年の至近未来からはじまり、気候変動に関するあらゆる対策を実施する”未来省”の活躍が描きこまれていく。この未来省とはなにかといえば、現実の2015年、国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)にて温室効果ガス排出削減のための新しい国際的な枠組みである”パリ協定”が締結されたが、未来省はこの協定実施のための、国家の枠組みを超えた補助機関として設立されている。 なぜ本作が「最注目の作品」なのかといえば、本作が気候変動が関わる産業を、できるかぎり網羅的に描き出そうとしている点にある。たとえば気候変動対策といえば二酸化炭素削減というイメージがあるが、できることはそれだけではない。温暖化や山火事、海面上昇への対応だけでなく、住む場所を奪われた動物の保護も必要だし、住む場所を追われ移民となった人々の調整、海水を真水にする技術の開発も必要だ。 さらに、炭素排出を削減することで発行される、世界中の通貨で換金可能なデジタル通貨の”カーボンコイン”の創造など、本作では一見無関係な経済から農業まで、あらゆる産業を射程に入れて語り尽くしていくのだ。はたして、気候変動にたいして人類は対抗することができるのか──!? という、物語的には「人類vs巨大な敵」というわかりやすく、また魅力的な構図の物語なのである。 総括 暑くてたまらない日々を過ごしているとそこだけに視点があたりがちだが、海面上昇から生態系まで、あらゆる影響が実際には今地球上に及んでいる。気候変動フィクションを読むことで、より身近なこととしてそうした問題を感じ取ることができるだろう。 『世界から青空がなくなる日:自然を操作するテクノロジーと人新世の未来』や『温暖化に負けない生き物たち:気候変動を生き抜くしたたかな戦略』(どちらも2024年刊)など、ノンフィクションも含めてこの分野はおもしろい本が続々出ているので、ノンフィクションも合わせて読むと、よりおもしろさが増すはずだ。

報われない恋が愛おしい!当て馬女子キャラクターの魅力と歴史

偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「報われない恋が愛おしい!当て馬女子キャラクターの魅力と歴史」。かんそうさんが書かれたこの記事では、当て馬女子キャラクターへの偏愛を語っていただきました! 私、普段「当て馬」の研究をすることで生計を立てている、かんそうと申します。10年運営しているブログ「kansou」では4000人以上の有識者に独自のアンケートを取り、当て馬ナンバーワンを決める当て馬ランキングを実施するなど、日本有数の当て馬研究家として日々活動しています。 当て馬とは そもそも「当て馬」とはなんなのか。当て馬とは本来、種付けでメス馬を発情させるために使われるオス馬のことを言います。しかし、それが転じて恋愛漫画やドラマなどで、主人公と相手の絆を深めるためだけに存在する片思いキャラのことを指すようになりました。冷静に考えると、なんと失礼な言葉なのでしょうか。本来であれば、こんな言葉は使いたくはありません。しかし、この言葉以上に彼ら彼女らを表すものがないのも事実…。 そんな不名誉なレッテル「当て馬」を貼られた彼ら彼女らを少しでも伝えたい、できることならこの世から「当て馬」という言葉を消滅させたい。そんな願いをもってこの活動をしています。 中でも、私が特に愛情を注いでいるのが「当て馬女子」です。特に、 「地味な女主人公の恋のライバルとして登場し男主人公との仲をこじらせようと意地悪するもことごとく跳ね返され自身の想いが届くことなく失恋するが紆余曲折を経て最終的に親友になる「ツインテール性悪当て馬美少女キャラ」 への感情はビッグバンと言っても過言ではありません。誰もが羨むビジュアルを持ち圧倒的な異性の人気を獲得しながら、本命にだけはまるで相手にされない。それどころか「ツインテール」という髪型は「自分に自信がなければ出来ない髪型」とされているがゆえに「あなたはかわいくていいよね、なんの苦労もしないで」などとやっかみを受け、いつしか誰も頼らず誰も信用しない自分を作り上げてしまう。 だからツインテール性悪当て馬美少女キャラは、自分が傷つかないために「演じる」しかない。完璧な可愛い自分を。でも男主人公だけは、わたしをわたしとしてだけ見てくれた。弱いところも醜いところもこの人にだったらさらけ出せるかもしれない…好き…大好き…。と。でどれだけモテようがツインテール性悪当て馬美少女キャラには関係ないのです、ただ一人彼にだけ振り向いてほしかった。 でもその想いは決して報われない。それどころか、一陣の風のように現れた地味な女主人公に積み上げてきたものを全てかっさらわれてしまう。一段一段慎重に積み上げてきた恋愛ジェンガが一瞬で崩される。この気持ちが分かりますか?それは意地悪の一つや二つしたくなるでしょうが。 ツインテール性悪当て馬美少女キャラその1『君に届け』胡桃沢梅(くるみ) ツインテール性悪当て馬美少女キャラの歴史を語るうえで、絶対に外すことできないのが漫画『君に届け』に登場する胡桃沢梅(以下、くるみ)です。くるみは物語の男主人公・風早翔太と同じ中学校の出身で、その頃から風早に片思いをしており、表では猫を被り「学校一の美少女」を演じながら、裏では風早が他の女子と近づくのを防ぐため「風早はみんなのもの協定」を発案するなど、その想いはもはや執念に近いものがありました。 女主人公・黒沼爽子に対しても、くるみは風早が爽子のことを気になってることに誰よりも早く気づきます。なぜなら風早をずっと見てきたから。風早が自分には絶対にしない顔で爽子を見ていたから。それを見つめるくるみの切ない顔を見るたびに、私は眼球が焼かれそうなほど熱を帯びるのです。 それが許せなかったくるみは、学校中に爽子の悪い噂を流したり、爽子と仲良くするフリをして風早の親友の真田龍に恋心を向けさせようと画策。しかし、そこまでしても爽子は動じませんでした。それどころか、くるみのことを許そうとするのです。結果、くるみの想いは風早に届くことはなく、勇気を出して告白するも振られてしまいます。 私は毎ページ思いました。ああ、俺が『君に届け』の登場人物だったらくるみを泣かせないのに…風早のことをぶん殴ってやるのに…と。 その後、くるみと爽子はしばらくギクシャクした関係を続けるのですが、どこまでも真っ直ぐにくるみと向き合う爽子の純粋さに触れることで、くるみの心を覆っていた固い殻は破れ、2年の時を経て、2人は「親友」と呼べるほどの仲になります。最終30巻でくるみが風早に言った、 「爽子ちゃんはわたしから風早をとったと思ったけど、ちがった。風早がわたしに爽子ちゃんをくれた」 というセリフに全てが詰まっていました。そう、『君に届け』とは黒沼爽子と風早翔太の恋愛物語であると同時に、黒沼爽子と胡桃沢梅の友情物語でもあるのです。 ツインテール性悪当て馬美少女キャラその2『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』真矢愛莉 もう一人、代表的なツインテール性悪当て馬美少女キャラを紹介します。漫画『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』に登場する真矢愛莉です。高齢の両親の一人娘として生まれ、常に甘やかされてワガママに育った愛莉はお菓子の食べすぎで歩くのにも苦労するほど太ってしまい、周囲からからかわれる日々を送っていました。 そんなある日、小学校の遠足中に足をくじいて動けなくなっているところを男主人公・晴に助けられ、それから晴のために人生を生きると決意するのです。そう、晴だけが本当の自分を見てくれた。くるみにおける風早とまったく同じ。ツインテールという一輪の花に停まった一匹の蝶。それが晴だった。 それから愛莉は、女主人公・音が自分たちの学園にふさわしくない貧乏人だと知ると晴のためにと、誹謗中傷のビラを学校中にばらまく、倉庫に閉じ込めるなど、様々な嫌がらせを決行します。しかし、その行動がやりすぎたせいで晴の怒りを買い拒絶されてしまいます。 ショックを受けた愛莉は失踪し、命の危機に瀕してしまいます。そこを晴と音に助けられたことで、心を開き2人の仲を応援するようになるのです。ワガママな性格は変わらずですが、一度心を許した音には人懐っこい猫のようなかわいさを見せます。 「言ったでしょ、友達候補にしてやるって。まあ、いつ寝首かくかわかんないわよ?油断しないこと」 そう頬を赤らめる愛莉を見て、私は「俺が一生守り抜く」と誓ったのです。何から?この世の悲しみ全てから。 このように、当て馬女子、ツインテール性悪当て馬美少女キャラはいつまでも関係を発展させない主人公たちのケツを叩くカンフル剤としての役割を完璧にこなしながら、大きな成長を見せるのが彼女たちの最大の魅力。 登場時の「なんだこのいけ好かねぇやつは?」から「俺が…俺が幸せにするよ…」へのギャップ。 「大キライ 大キライ 大キライ 大スキ」とはモーニング娘。の名曲『サマーナイトタウン』の歌詞ですが、一度「嫌い」を経て「好き」に変化した感情の強度はダイヤモンドを凌駕します。                                                                                                                                              なぜ私がここまで当て馬女子たちに惹かれるのか、それは私自身の経験から来ています。私も恋愛に関しては決して好きな相手に振り向いてもらえない人生を送っていました。直接話しかける勇気はないが、その子の目線に入るために教室の後ろでわざと大声でふざける毎日。目の前の男友達に話しかけるフリして、その子に向かっておもしろワードを言っていたのです。 しかし、その子は振り向くどころか同じクラスの別の男と付き合いました。しかも、一人や二人ではありません。複数の男子生徒がその子と「関係」を持っていました。そう、ただの「貞操観念ガバガバ女」だったのです。グチャグチャに絡まり合った相関図。広まる噂。そしてその矢印にいっさい絡んでこない私。まぎれもなく地獄でした。 そうして、一人枕を濡らす日々を送っていた私に現れたのが、胡桃沢梅でした。境遇こそ違えど、好きな相手に自分の想いを上手く伝えられないその姿に、まるで自分自身を見ているような錯覚に陥りました。私も心の髪型はツインテールだったのです。 後先考えず相手を想い続ける一途さ、想いが強すぎるゆえにやり方を間違えてしまう不器用さ、最も身近で最も我々に近い、最も「人間臭い」キャラクターが、当て馬女子です。この記事で少しは彼女たちの魅力が伝わったでしょうか。 当て馬研究家がいま注目している当て馬女子たち 最後に、当て馬研究家の私がいま注目している漫画作品とそこに登場する当て馬女子をいくつか紹介したいと思います。 まず、一作品目は『凪のお暇』に登場する市川円。 フワフワとした雰囲気と抜群のルックスと頭脳を持ち社内一の人気と実力を誇るも、その魅力のせいで無意識に周りのコミュニティをグチャグチャにしてしまう恐ろしい女性です。主人公・凪の元彼の慎二と付き合うことになり、最初はとても良い雰囲気だったのですが少しずつ慎二の心と体を蝕んでいきます。自分ではなにも悪いことをしている自覚がないのに、好きな人に好かれないどころか、壊してしまう。そんな悲しき業を背負ったキャラクターです。 二作品目は『スキップとローファー』に登場する江頭ミカ。 今どき女子の皮を被りながら過去の出来事から自分自身に対して自信がなく、多くのコンプレックスを抱えているキャラクターです。登場時はクラスいちカッコいい男子・志摩に一目惚れをし、志摩と仲の良い主人公のみつみを「地味な子」と見下していたのですが、徐々に彼女の真っ直ぐさに惹かれ「志摩を好きな自分」と「みつみと友達でいたい自分」の間で葛藤しながら、その気持ちに少しずつ決着をつけていき、いつしかみつみと、大の仲良しと呼び合うほどの関係を築いていきます。 2人とも「当て馬」などという枠では括れないほど人間的で面白いキャラクターです。くるみ、愛莉、円、ミカ…私にとって、もはや君たちは当て馬なんかじゃない、最高の「本命人間」だよ。誰よりも幸せになってくれ。

映画に出てくる犬は生きていても死んでいても天使のようだ。

偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「映画に出てくる犬は生きていても死んでいても天使のようだ。」。千葉集さんが書かれたこの記事では、映画に登場する犬への偏愛を語っていただきました! 犬はいいですね。特にみちばたで出会う犬はいい。不意にあらわれる犬は天からの恵みのようであり、つらくかなしい毎日を過ごすわれわれにとっての清涼剤です。 そういうわけで、映画を観ていても犬が出てくるとうれしくなります。ポスターや予告編を見て、犬が主役とひとめでわかるような映画に出てくる犬ではありません。それはそれでそういうもののよさはありますが、脇役だったり、なんなら通りすがりのようにワンカットしか出てこないほうがよろこばしい。 わたしが映画に出てくる脇役的な犬を気にしだしたのは、おとなになり、子どものころあれほど豊かだった感受性が摩滅し、それまでこわくて観られなかったホラー映画を観始めたころだったでしょうか。恐怖描写に耐性があったとしても、動物が死ぬシーンに耐えられないヒトであれば、ホラー映画はまず避けるべきです。ホラー映画ではとにかく動物がよく死にます。なかでも、犬は死にまくります。 (1904年の映画「The Dog Factory」より/パブリック・ドメイン) たとえば、スラッシャー映画の古典『ハロウィン』。このシリーズでは殺人鬼であるマイケル・マイヤーズによって五作目までのほぼ毎回犬が殺されていくことで有名です。三作目では殺されませんが、それはマイケルが出演していないせい。 第一作の『ハロウィン』(ジョン・カーペンター監督、1978年)を見てみましょう。殺人鬼マイケルがある住宅の庭に立ってベビーシッターの女性を不気味に監視していると、不審者を嗅ぎつけたその家のジャーマン・シェパードに吠えかかられます。マイケルは無慈悲にも番犬に手を下しますが、ベビーシッターは異変に気づきません。そうして、彼女もまたマイケルの犠牲者となっていくのです。 『ハロウィン』のこのくだりには、ホラー映画における犬殺害描写の典型的な要素が詰め込まれています。 殺人鬼や怪物の魔手が平和な住宅街に迫りつつある。それをいち早く感知した犬が侵入者に吠えかかり、あえなく殺されてしまう。そして、それが直後に人間たちを襲う惨劇の先触れとなる――。 ホラーとそのサブジャンルで殺される犬たちは、おおむねこうしたバリエーションにおさまります。『JAWS』(1975年)、『ファニー・ゲーム』(1997年)、『死霊館』(2013年)、リメイク版『死霊のはらわた』(2013年)、『M3GAN ミーガン』(2022年)……。そうそう、『13日の金曜日 PART2』などは、そうしたクリシェを逆手に取りつつファンのあいだでも意見のわかれるオチにしていますね。 ヒトのパートナーでありつつも「文明」と「自然」のはざまに位置する犬は、ヒトに先んじて超自然的ななにかを嗅ぎつけ、そして身を挺してその先の展開をヒト(と観客)に示すのです。犬がヒトに社会的にも心理的にも近しい存在だからこそ、観客は犬が殺されるシーンに怖気をおぼえます。 さように、ヒトと犬の運命はつながっているのですね。ロブ・ゾンビ監督のリメイク版『ハロウィン』(2007年)では殺される犬を出さなかったわけですけれど、ベビーシッターの顛末もオリジナル版から変更されている事実は興味深いところでしょう。 (特に死んではおらず、寝ているだけの犬/ウィキメディア・コモンズより) ところであなたはいま、こうお考えかもしれません。「犬はいい」という話のはずなのに犬が死ぬ映画の話をするのは……よくないのでは? とんでもない。犬が死ぬ劇映画ほど、犬がいてよかった、とおもえる映画はありません。なにせ、スクリーンのなかで死んでいる犬は実際には死んでいないのです。 ハリウッド作品ともなると、専門機関の監視のもと、撮影現場での動物の扱いは厳格に管理されています。映画の犬はどんなに無惨な最期を遂げようと、カットの声がかかるとひょっこり立ち上がり、尻尾を振ってトレーナーや俳優に頭をなでてもらっているのです。 メイキング映像などで見られるこんな瞬間以上に、犬が生きていてよかった、生きている犬はよい、と感じられる瞬間がほかにあるでしょうか? 『ハロウィン』の監督であり、『遊星からの物体X』(1982年)で犬好きたちに生涯もののトラウマを植えつけたジョン・カーペンターも、現場では俳優犬をリスペクトし丁重に扱っていたことで知られています。 疑り深いあなたなら、「いや、実際に動物たちが現場でどう扱われているかは観客にはわかったもんじゃない」というかもしれませんね。「アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『エル・トポ』(1970年)では、実際に大量のウサギが虐殺されていたというではないか」、と。 そんな不安な魂に有用なのがインターネットです。印象的な俳優犬を映画で見かけたならば、即グーグルに「映画名 犬」で検索しましょう。すると、その犬の元気な姿がたくさん出てきます。 最近の映画であれば、アカデミー賞にもノミネートされたジュスティーヌ・トリエ監督の『落下の解剖学』(2023年)。この映画には、犬がもがき苦しむ場面が出てきます。見ていて誰しも心かき乱されるシーンです。演技とはいえ、ここまで苦しませて大丈夫なのか……? と疑いのひとつもわくでしょう。 そこで「messi(俳優犬の名前) anatomy of a fall(『落下の解剖学』の英題)」で検索をかけます。するとどうでしょう、あの犬が映画賞の授賞式で行儀よくおすわりしたり、撮影現場でキョトンと佇んでいる姿がなんぼでも出てきます。なんなら、映画で見せた演技を再現するインタビュー動画だってあります(https://www.youtube.com/watch?v=EHH8kgRrgQ0)。 (『落下の解剖学』に出演して数々の賞に輝いた名優犬、メッシ/ウィキメディア・コモンズより) まあ、それでもなお「たとえフィクションのなかであっても犬が苦しむのは見たくない!」という方はいらっしゃるかもしれません。実際、アメリカ映画ではホラー以外のジャンルだと「映画のなかで子どもは殺せても、犬は殺せない」とジョークのネタにされるほど犬は不可侵な聖域です。 冒頭で「犬の死を見たくなければホラーは避けろ」といいましたが、逆にいえば、ホラーさえ見なければそうそう映画で犬の死を目にはしません。それでもなお心配な向きには、「その映画の劇中で犬が死ぬかどうか」が調べられるDoes The Dog Die?というサイトもあります(全面的に信頼できると言い切れないサイトではありますが)。 https://www.doesthedogdie.com このように、意外にヒトは映画の犬を気にします。それだけ、犬は映画というメディアにおいて重要なポジションを担っているわけです。それらはあらゆる場所で生身においても記号においても犬が商品として扱われている証しのひとつですが、ひとまずはそのような物悲しい見方は棚上げしておきましょう。 それで、犬はいつごろから映画に現れたのでしょうか?答えは、「最初からいた」です。 リュミエール兄弟の「工場の出口」(1895年)という、フランスの工場労働者たちが業務を終えて工場の出口から出てくる様を撮った短篇があります。よく「世界で最初の映画」のひとつとして数えられる映像で、いくつかバージョンがあるのですが、ここに犬も登場します。しかも二頭。 (「工場の出口」より/パブリック・ドメイン) 一頭は出口の左側に寝そべり、もう一頭は工場から出てきます。二頭ともいったんは画面から退場するのですが、工場から出てきたほうはカメラの前へと舞い戻り、人間たちの退勤風景を眺めつつ歩き回っていきます。 「工場の出口」はなにげない日常をとらえたドキュメンタリックな映像にみせかけて、実は数々の「演出」がなされていたというのはよく指摘されるところですが、もしかするとこの犬も画面の外にハケたあとで「おい、戻れ」と指図されたのかもしれません。 (「工場の出口」より/パブリック・ドメイン) というのも、動いている犬はそれだけで画になる。たとえば、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』(1958年)では、冒頭の数分間を本筋と関係のない犬たちが街路でうろつく様子に割り当てていますが、これがなぜだかすばらしく感動的です。天使が実在するなら、このようなステップを踏んで歩くに違いない。あなたもきっとそう感じます。 映画のなかで動く犬を観るのは快楽的です。いっぽうで、「工場の出口」での犬がそうであったように、映画のなかの犬は人間を観察する側でもあります。かつて、飼いネコに風呂上がりの裸を見られて羞恥心をおぼえた経験をながながと綴った哲学者もいましたけれども、価値判断を含まない動物の視線はときに他人の眼以上にヒトに負い目をあたえます。 最近の映画でいえば、『関心領域』の犬は語るに値するでしょう。ナチスドイツ絶滅収容所の所長一家の日常を淡々と描いた作品です。所長の妻はユダヤ人たちから没収したオシャレな衣服を横領していて、寝室の鏡の前でたのしげに試着したりする。すると、そこに飼い犬であるワイマラナー(ドイツの貴族が生み出した犬種です)が入りこんできます。きゅうに居心地のわるさをおぼえた彼女は部屋から犬を追い出し、追い出された犬はわけもわからず閉ざされた扉の前でクンクンと鼻を鳴らします。 所長の妻は鏡に映る自分のおぞましさを自覚していなかったのに、自分に懐いているこの犬の存在をプレッシャーに感じてしまったんですね。犬の眼は鏡よりヒトの姿をただしく映すわけです。 この写し鏡としての犬が行き着くところまで行くと、犬はヒトのメタファーとなっていき、ヒトは犬のメタファーとなっていきます。まさしく、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(1985年、ラッセ・ハルストレム監督)。 こうした犬とヒトの合一の元祖はなんといってもチャールズ・チャップリンの「犬の生活」(1918年)でしょう。チャップリン演じる哀れな失業者が似た境遇の野良犬を拾い、自分もまた野良犬のような生活を送るお話です。 映画においては、ヒト自身がそうであるように、犬もまた物語を語るための道具のひとつです。ある意味で、そこに本物の犬はいません。擬人化され、記号化され、象徴性が増幅された犬の姿しかスクリーンには映らない。だからこそ、われわれはより濃密なヒトと犬との関係をそこに見出せるわけです。 あなたは映画の犬になにを見出しますか?それでは、よきドッグ・ライフを。

カメラの周辺機器ヲタクがおすすめする手軽に買える便利機器7選

偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「カメラの周辺機器ヲタクがおすすめする手軽に買える便利機器7選」。地主恵亮さんが書かれたこの記事では、「カメラの周辺機器」への偏愛を語っていただきました! 写真や動画の撮影というものがある。今ではスマホで簡単に撮ることができるし、そのクオリティも高い。以前はコンデジをいろいろな企業が出していたけれど、スマホに取って代わられてしまった。 どうもこの記事を書いている地主です! 私は企画を考えたり、文章を書いたり、デザインをしたりする仕事をしているが、写真や動画も生業にしている。その時に使うのはミラーレス一眼というものだ。レンズを変えることができて、スマホより設定をいじれるので、私にとっては便利なアイテムである。 私が使っているのはソニーとパナソニックのミラーレス一眼(以下、カメラ)だ。ソニーとパナソニックは撮影するものによって使い分けているけれど、その時々の気分で決めたりするので、厳密な使い分けは特にない。今日は和食より中華の気分だな、みたいな使い分けだ。 パナソニックとソニーのカメラを使っています! この記事ではカメラについてはあまり書かない。カメラも愛しているのだけれど、日々新製品のニュースを追いかけているものの、カメラは高いのだ。上記のソニーのカメラは安い方ではあるのだが、レンズとボディで70万円くらいしたと思う。だから、気軽に買うことは私のレベルでは難しい。 その結果、私はカメラの周辺機器を深く愛するに至った。撮影をより快適にしてくれるし、カメラと比べると安いのだ。便利そう! と思えば、お財布とあまり相談することなく買うことができる。今回はその中で便利だったものを紹介したい。 紹介するぜ! 1.三脚周辺(F38クイックリリース) 撮影で三脚を使う時がある。三脚とはカメラを任意の高さや角度で固定できるものだ。多くの三脚はプレートをカメラにつけて、三脚の雲台と呼ばれる部分に取り付ける。そのプレートはネジ式で、雲台側もネジ的なものをいじる必要があり、取り付けには時間がかかる。数回程度なら別にいいのだけれど、一度の撮影で何度も取り外しをやっていると面倒になってしまう。 そこで「Ulanzi FALCAM F38クイックリリース」 こうなります! そこで私がいま全ての三脚につけているのが、「Ulanzi FALCAM F38クイックリリース」。プレートとベースがあり、プレートはカメラにつけて、ベースは三脚につける。これが本当に便利。プレートを複数購入して、それぞれのカメラにつけておけば、カメラを変えるごとに起きるプレートの交換が必要なくなる。 同じようにベースを複数の三脚につけておけば、どの三脚を使っても、カメラをワンタッチで固定することができる。 こうしておけば、(左カメラ、右三脚) ワンタッチで、 三脚に固定できる! こんなに素晴らしいものが世の中にあったのか、と驚いた。三脚は時と場合により違うものを使うことがあるのだ。その度にカメラ側にプレートをつけて、というのが煩わしくて仕方がなかった。それがこのFALCAM F38クイックリリースではないのだ。革命的に楽だ。 さらに「Ulanzi F38回転ズレ防止プレート」 ただ通常のF38のプレートは、緩みやすいという問題がある。そこで私は「Ulanzi F38回転ズレ防止プレート」を使っている。通常のものと違い、一面にだけ突起がついている。これが優秀でカメラに引っかかり緩むことがない。私は全てのカメラでこちらのタイプのプレートを使っている。 突起が引っかかり緩まない! 撮影中によくあるのだ。三脚を使っていなかったけれど、急に三脚で固定して撮らないといけない場面が。その時にこのシステムは本当に素早くできるので便利で、今やないことが考えられない。ありがとう、とこのメーカーに言いたい。 全ての三脚にベースをつけています! 2.三脚周辺(BENRO 3ウェイ雲台) 三脚は足と雲台に分かれている。雲台にはいくつかの種類がある。3ウェイ雲台や自由雲台、ギア雲台などだ。それぞれに良い面と悪い面があるのだけれど、私は「ギア雲台」を好んで使っている。 BENRO 3ウェイ雲台 ギア雲台は上を見るとキリがないほどの値段になるのだけれど、「BENRO 3ウェイ雲台」は実売だと2万円弱と安い。ガタつくこともなくて値段以上の満足感があった。ちなみに三脚には規格があるので、私はManfrottoを足で使っているけれど、別のメーカーであるこの雲台を取り付けることができる。 ギア雲台はダイアル的なものを回せば、ミリ単位で位置を調整できる。ほんの少しを調整するのに向いているのだ。なかなかに便利だ。 ダイアルでわずかな調整も可能! 3.三脚周辺(Ulanzi ビデオ雲台 F38クイックシュー付き) 私は写真だけではなく動画の撮影も行う。現場では写真がメインだけれど、急に動画を撮る場面も出てくる。写真と動画では三脚が異なるのだけれど、両方の三脚を持って行くのは面倒、というか重い。車では行けないようなところで撮影することもあるからね。 そこで「Ulanzi ビデオ雲台 F38クイックシュー付き」 そんな時は「Ulanzi ビデオ雲台 F38クイックシュー付き」の出番。通常の写真用の雲台の上にこれを設置すれば動画用の雲台に変わる。カメラを被写体に合わせて滑らかに動かすことができるのだ。これは買った時からF38のベースがついているので、カメラにF38のプレートをつけておけば、すぐにカメラを固定することができる。 F38のベースがあるので、 プレートをカメラにつけておけば簡単に取り外しができる! さらに私は「Ulanzi ビデオ雲台 F38クイックシュー付き」の下部にもF38のベースを付けている。そのため土台となる写真用の雲台(こちらにももちろんF38のプレートを常につけている)に簡単に固定できる。マジで便利。大体において撮影はおしていることが多いので、少しでも早く準備がしたいのだ。 下部にF38のプレートをつけているので、 土台となる雲台に簡単に取り付けられる! ただ動画用の雲台としては簡易なものであり、本来の動画用の雲台に比べれば、滑らかさに劣るし、バランスも悪い。ただ使えないかと言えばそんなことはなくて、割とよく使っている。むしろ小さくて持ち運びが便利で助かっている。 ちょっと不安定な感じはあるけど大丈夫! 4.ネジ周辺(SmallRig 折りたたみドライバー) カメラに周辺機器を取り付ける時はネジが使われることが多い。先に紹介したF38もそうだ。F38の場合は10円玉とかでもネジを回せるのだけれど、より強固にネジを止めようと思うとドライバー的なものが必要だ。もちろん10円玉で回せないネジの時も多い。 そこで「SmallRig 折りたたみドライバー」 カメラ系で使いそうなドライバーが一つにまとまっているのが「SmallRig 折りたたみドライバー」。これひとつあれば、ドライバーを複数持ち歩く必要がないので便利。これを買ってから困ったことがない。ここにあるだけで大体足りるのだ。しかも、小さい。SmallRigにありがとう、と言いたい。カメラのケージもSmallRig一択で使っている。 これだけあるんだぜ! 5.カメラ周辺(Ulanzi カメラ用冷却ファン) 写真撮影では私は体験したことがないのだけれど、動画撮影では熱暴走ということが起きる。私が使っているパナソニックのGH6はカメラにファンがついているので、熱暴走は起きないのだけれど、ソニーのカメラではたまに起きる。起きてデータが全て消えたこともある。 そこで「Ulanzi カメラ用冷却ファン」 そこで「Ulanzi カメラ用冷却ファン」だ。カメラに後付けできるファンで、取り外しも楽。動画撮影なのでファンの音がうるさいと、マイクが音を拾ってしまい困るのだけれど、この商品は静かなので大変重宝している。 バネ式で、 このように取り付けます! こんな小さいファンで変わるの? と思うかもしれないけれど、変わります。めちゃくちゃ変わります。同じ環境で熱暴走したカメラが、これをつけると熱暴走しなかった経験があります。なのでめちゃくちゃ感謝しております。 基本的にはいろいろなカメラにつけることができます! 6.バッグ(HAKUBA 防水インナーバッグ ドライ クッションポーチ) カメラは基本的には水に弱い。防塵防滴だとしても濡れない方がいいと思っている。ただ雨は降ります。急に降ります。降らないで、と願うのに降ります。リュックサックなどに入れていても、リュックが濡れて中まで濡れることもあります。 そこで「HAKUBA 防水インナーバッグ ドライ クッションポーチ」 そこで私が愛用しているのが「HAKUBA 防水インナーバッグ ドライ クッションポーチ」。防水のカメラポーチなのだ。カメラ用ではない防水バッグもあるけれど、こちらは完全防水生地だけではなく、衝撃を吸収するクッション素材も使われている。つまり水からも衝撃からも守ってくれるのだ。 裏はこんな感じ! クッション素材! 乾燥剤を一緒に入れておけば、より安心という感じで、私はカメラをサブを含めると4台ほど使っているのだけれど、全てにこのポーチを使っている。取り出すのもそこまで手間ではないし、濡れないという安心は何事にも変え難い。このポーチ以外、今では考えられない。耐久性もいい気がする。 閉めるとこういう感じです! 7.ストラップ(PeakDesignアンカーリンクス) カメラには首にかけることができるストラップをつけている。ただ三脚に設置する時はこのストラップが邪魔になってくる。ただストラップの取り外しは面倒だ。ここに通して、ここで固定してとかしないといけないから。 そこで「PeakDesignアンカーリンクス」 そんな問題が「PeakDesignアンカーリンクス」で解決する。カメラを使っている人には定番のアイテムだ。アンカーをカメラ側に取り付け、アンカーハウジングをストラップにつける。すると簡単にストラップとカメラを分離することができる。 簡単に取り外しできる! 「あると便利」から、ないと無理になる 以上が最近よく使っているカメラの周辺機器だ。アイデア商品のようなもので、いろいろなメーカーから、いろいろな商品が頻繁に登場している。最初は嘘でしょ、と思うのだけれど、使うと痒いところに手が届くという感じで、最終的にはもはやないと撮影できないになるから驚く。なかった頃には戻れないのだ。あと、カメラと比べれば安いからダメ元で買ってみるか、もできる。 みんなカメラの周辺機器買おうぜ!