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「機動戦士ガンダム ジークアクス」が話題の今こそ見ておきたい富野アニメの到達点「伝説巨神イデオン/発動篇」

フミコフミオ
偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「「機動戦士ガンダム ジークアクス」が話題の今こそ見ておきたい富野アニメの到達点「伝説巨神イデオン/発動篇」」。フミコフミオさんが書かれたこの記事では、「伝説巨神イデオン/発動篇」への偏愛を語っていただきました!

「機動戦士ガンダム ジークアクス」面白かったね。

みなさん、こんにちは。ガンダムの新作「機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)」、劇場でご覧になりましたか。面白かったですね。未見の方のために、ネタばれしないようにギリギリの線で感想をいうと、前半はめっちゃ「ギレンの野望」でしたね!後半の展開も、スタジオカラーらしい作品になりそうで、テレビ本放送に向けて期待は高まるばかりでございます。

「ギレンの野望」部分に突っ込みをいれるとしたら「シャア・アズナブルさんは戦況を変えるほどの強キャラじゃなくね?パプテマス・シロッコ様曰く、ニュータイプのなりそこないですよ」くらいでしょうか。とにもかくにも、二十年以上前の大昔に「ギレンの野望」シリーズを遊びまくった人間なので、あの展開は琴線に触れまくりでございました。

けれども、「これはガンダムですか……?」もうひとりのリトル自分から問いかけられたら「うーん」とうなってしまう、ファーストガンダム至上主義者でもある。楽しめたし、クオリティも高かったので勢いで「あえて言おうガンダムであると!」と言ってしまいたい衝動にかられるが、やはりそれでもガンダムなのかと問われると即答しかねてしまう。なぜかというと、富野由悠季大先生が関わってないから。御大という存在がガンダムをガンダムたらしめているからである。

少年時代、毎年発表されていた富野由悠季御大アニメに触れて影響を受けて育った世代なので、富野成分が欠落していると物足りなさを感じてしまうのだ。もちろん御大が絡んでいなくても面白いガンダム作品はあるけれども(近作だと「水星の魔女」も変わっててよかった)、御大が作るガンダムは特別なのだ。「ジークアクス」は、劇場公開された冒頭部分であれほどの期待値の高い面白い作品を作れるのなら、ガンダムという枠組みに頼らずに新しいものを作ったほうが…とも思ったりする(でも楽しみ)。

富野作品の極北「伝説巨神イデオン」

異論はあるのを覚悟しておりますが、機動戦士ガンダムの生みの親である富野由悠季大先生によるハードコア路線の到達点が「伝説巨神イデオン」である。まずストーリーが無駄に壮大。リアルロボット系の機動戦士ガンダムに対して「伝説巨神イデオン」は超リアルだ。地球人が地球圏を飛び出して外宇宙を開発中に、辺境のソロ星で異星人バッフ・クランと接触。戦闘に発展。主人公コスモたちは遺跡から出てきた巨人イデオンと宇宙船ソロ・シップに乗ってバッフ・クランと戦うことになる…というもの。ガンダムに比べるとアバウトでスケールが大きくてとてもいい。

遺跡であるイデオンがどういうわけか合体前はトレーラーのような形をしており、かつA・B・Cの三つのメカに分裂していて、わざわざ合体する仕様なのも、大人になってから見直すと趣深いものがある。「三つのメカが合体して巨大メカになったらウケるよね」「メカがトレーラーだったら子供の心はガッチリだ」という玩具メーカーの担当者を交えた企画会議が盛り上がった様子が目に浮かぶようである。盛り上がった会議のあと、冷静になって見直すと「なんでこんなものが…」となるのである。そういう大人の事情を感じさせて味わい深いのだ。合体前はトレーラー、顔は量産型モビルスーツ(ジム)、無駄に巨大で全身が真っ赤なイデオンがチート級の強さで活躍するのも今でいうギャップ萌えかもしれない。残念なことに、登場が40年早かった。

そのうえイデオンを動かす源である無限力とよばれるイデの強大な力が、不安定かつわかりにくい。ガンダムに登場するニュータイプという存在が鼻くそレベルの小さいものに見えてくる。コスモたちはバッフ・クランと戦いながら宇宙を旅するなかで、たびたび無限力/イデの発動に翻弄され、主要人物たちがばたばたと倒れていくというのがテレビシリーズ。地球圏あたりでちまちま戦っている宇宙世紀もののガンダムとはスケールの大きさがちがうのだ。シャアの操縦するザクが3倍のスピードで動いていてもその空間ごと蒸発させるのがイデオンなのだ。

僕は、小学生の頃、「伝説巨神イデオン」のテレビ放送をリアルタイムで見ていた。主人公メカであるイデオンや敵対する重機動メカのカッコ悪さ(失礼)や、揃いも揃って我がままで共感できない登場人物たちに耐えながら見続けていたのは、いつか面白くなるのではないか、だってガンダムをつくった人のアニメだから、という根拠の乏しい期待感と湖川友謙さんの絵が大好きだったからだ(湖川さんの名前は当時知らなかったが)。頬骨のあるリアルで美しい登場人物に魅せられていた。ハイセンスな小学生だったのである。

テレビシリーズの最終回に呆然とした。

しかし、小学生目線からは伝説巨神イデオンはいっこうに盛り上がらなかった。一緒に観ていた友達たちは一人、二人と「悪いな。もう無理」といってイデオンから脱落した。イデオンが強すぎたのも大きな原因だったように思える。強いのはいい。だが強すぎはよろしくない。惑星をぶった切るわ、数えられないほどの敵に囲まれても殲滅してしまうわ、強すぎて弱い者いじめをしているように見えてくるのだ。なんやねん惑星斬りって(惑星の裏にいる敵ごと破壊)。

ガンダムのように死線をサバイブするようなヒリヒリした展開を期待しているのに、反則兵器イデオンガンを使って数千の敵を蒸発させるのだから……。反則技と暗い展開に何度も心が折れてしまいそうになった。見続けたのは、当時の家のルールがあったからである。「一度始めたものは最後までやりきりなさい」という亡き父が定めたルールがあり、それを破ったらこづかいが減額されるという厳罰が設定されていた。今も昔もこづかいに縛られている人生なのだ。

それでも終盤、物語が微妙な傾斜で盛り上がっていき、そこで僕は、テレビ版伝説巨神イデオン伝説の最終回を目撃することになるのである。イデオン放送の十数年後のエヴァンゲリオンの最終回にも驚いたが、エヴァの方がまだまとめている努力が見られたのでマシに思えた。イデオンのテレビシリーズの最終回はまさしく突然、唐突に、いきなり、終わった。戦いのなかでこれからどうなるの……佳境に差し掛かった瞬間、画面が止まり、「そのときであったイデの力が発動したのは」というナレーションが流れて終了。

テレビの前で「ぽかーん」である。テレビシリーズを見続けた友達は皆無だったので、突然の最終回について誰ともシェアできずに悶々と過ごした。なんとなく凄いものを見せられたような気はしたが、意味のわからなさがそれを上回っていた。なお、大人になってから「俺たちのテレビ神奈川」で再放送されたイデオンのテレビシリーズを見直したのだが、人間の業が描かれていて記憶よりもずっと面白かった。ただ、小学校低学年のボンクラに、敵対する異星人の子を宿した娘に対する愛憎入り混じった宇宙人のリーダーの葛藤や、種の滅亡に際しても私怨で戦いをやめられない人間の業の深さなんて、わかるわけないっす……。

映画版「イデオン」を劇場で鑑賞した黒歴史

出典:バンダイチャンネル『伝説巨神イデオン』

テレビシリーズのもやもやを解消する劇場版が公開された。昭和57年、小学三年生の夏休みだ。今は亡き父親と劇場へ観に行った。後年、父にそのことを確認したら「覚えていない」といわれた。映画が終わったときに大きなお兄さんたちが拍手をしていたのを覚えているので間違いないが、父からみれば「鑑賞をなかったことにしたかった」のかもしれない。イデオン自体を知らない、心優しい父が劇場版鑑賞体験を、富野風にいえばナノマシンで黒歴史にしても、わからないでもない。それほど意味不明で凄まじい作品だったからだ。

イデオンの劇場版はテレビシリーズの編集版である『接触編』と真の完結編である『発動篇』の二部構成。打ち切りになったテレビシリーズを二部あわせて3時間オーバーの大作として劇場公開したのだから、暴挙である。『接触編』はダイジェスト版でまあこんなものだよね、という内容なので令和の時代に見る価値はないと思われるけれども、完全新作の『発動篇』がヤバい。令和の時代にこそ観てもらいたい作品だ。

『発動篇』のストーリーはシンプルである。つか、テレビと一緒。結末は「敵味方一人残らず全滅」。地球人類と異星人バッフ・クラン双方とも全滅である。主人公コスモたちソロ・シップご一行と、バッフ・クラン側ドバ総司令官の軍勢が前線で戦っているあいだに、イデの力の発動で双方の母星に隕石が降り注いで滅亡しているため、前線のメンバーが両勢力最後の生き残りというハードコアな展開。イデの力によって殺し合いをさせられてイデオンと巨大兵器ガンドロアが相打ちで爆発、最後に残った全員が爆発に巻き込まれて死亡という壮絶な展開となる。主人公コスモは最後まで戦ったけど爆死。母星が滅びているのに何してんの…という人間の業の深さを思い知らされるすさまじさよ…。

「発動篇」はイデオンBメカ担当のベントさんに注目しよう。

こんな結末から書いてしまってもまったく問題ない。そこまでの過程が凄まじいからである。まず冒頭のオープニングから異常である。とある惑星で知り合って主人公コスモと懇ろになる青髪のキッチ・キッチンという少女がいる。彼女はオープニングの段階で無事死亡する。死にざまがハードコアである。コスモの目の前でバッフ・クランの空爆で死んでしまうのだが、首だけになって血を吹き出しながら空を飛んでいくのがコスモの被るヘルメットのバイザーに映るのである。コスモが「バッフ・クランめー」と絶叫してタイトルが出る。オープニングのタイトルが出るまでにすでにハードコア。

なお、キッチ・キッチンはテレビシリーズではあっさりと死んでしまうので劇場版のためにわざわざ生首描写が作られたことになる。なお、ギジェというバッフ・クランから地球側に寝返った重要なキャラクターも「これがイデの力の発現かー」と絶叫して下半身を吹っ飛ばされてオープニング中におまけのようにあっさり死亡することをお伝えしておきます。

ハチの巣にされるヒロイン(?)カーシャや顔面に弾丸を打ちこまれるカララ、頭を吹き飛ばされる幼女アーシュラ、「発動篇」が語られる際にかならず指摘される登場人物たちの壮絶な死にざまであるが、本作未体験の方にはイデオンBメカのパイロット・ベントさんに注目していただきたい。Bメカのメインパイロットはモエラ、ギジェと代々死んでいるのだが、なぜかベントだけはサバイブしている。そんな彼も「発動篇」で死亡するが、僕はどこで彼が亡くなったのかまったくわからなかった。それくらいあっさり。物好きな人にはぜひとも彼の最期を見つけて供養していただきたい。

凄惨な「発動篇」に魅了されるのは主人公がイデだから。

発動篇の真の主人公は「イデ」の力である。主人公コスモは狂言回しだ。地球側とバッフ・クランを滅亡させるまで戦わせるイデこそ真の主人公にふさわしい。生命の存続がかかっているのにエゴと私怨をむき出しにして戦いをやめようとしない登場人物たちをイデは滅びの道へ突き進ませる。登場人物たちを徹底的に突き放して描写しているのが「発動篇」の凄みだ。登場人物たちにも容赦がない。だから、女性や子供にも平等に凄惨な死が訪れる。そして「発動篇」の魅力は、イデという圧倒的な力に振り回されながらも、一部の登場人物たちが生きるために最後まで抗う姿にある。

「発動篇」の主人公コスモとカーシャのやり取り。「分かったぞ、イデがやろうとしてることが。イデは元々知的生命体の意志の集まりだ。だから俺達とかバッフ・クランを滅ぼしたら、生き続けるわけにはいかないんだ。だから新しい生命を守り、新しい知的生物の元をイデは手に入れようとしているんだ」(コスモ)「じゃあ、あたし達はなぜ生きてきたの!」(カーシャ) コスモやカーシャはイデの意図に気づくが、それでも最後まであがいて生きようとする。カーシャを失いながらも、イデの意思に最期まで抗って戦おうとするコスモの姿に胸を打たれるのである。

「みんな星になってしまえ」というヒロイン・カーシャの台詞がある。そのとおり登場人物たちは皆星になって、全裸で因果地平の向こうへ飛んで行って終わるというトンデモなラストで「発動篇」は幕を閉じる。全滅という悲惨なエンドだが不思議な爽快感のある怪作である。こんな作品は富野由悠季御大しか作れない。なお、その昔、ケチで物欲の乏しい僕が、入手困難でプレミア価格がついていた「接触篇」「発動篇」のDVDをオークションでおとしたくらい(ヘッダー画像参照)、富野作品とイデオンの業は深いのだ。

「機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)」にはイデオンくらいぶっ飛んだ物語を期待している。「いやー富野さんのガンダムより凄かったよ」といえるようなガンダム作品になることを期待している。そろそろ僕ら富野作品で育ったオッサンを富野から卒業させてくれるくらいのガンダムを見せてくれよ。マジで。

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