
医師って、面白っ! 自衛隊出身の精神科医が見た「人の鑑」には収まり切らない治療者の素顔

精神科医として働いている今も、時折ふと思うことがあります。“医師って、面白い人達が多いな”と。“そもそも、変わっている人も多く、そのうえエネルギーに満ち溢れているから、面白い活動している人達が多いのだろうな”と。
私は、テレビやドキュメンタリー番組で他の医師たちが活躍している姿を見るのが子供の頃から大好きでした。例えば、救命救急の現場で命の瀬戸際に立つ人々を助ける外科医や、医療過疎地で懸命に治療を続ける地域医療の専門家、そういう人たちが登場するドキュメンタリーが好きです。それは今でも変わらず、自分も医師なのに、お医者様にあったり、話すと、いつもドキドキしたり、ワクワクします。
他にも、未知のウイルスに立ち向かう感染症の研究者たち、こういう人たちのロジカルさと滲み出る日常感や素朴さ、そのギャップを隠そうとしないところが面白くて、私は好きです。最近は、YouTubeで色々な学会や発表の様子なども見られるので、面白いなぁ、と喜んでいます。日本のものは少ないですが、海外の研究者などは発表をYouTubeに載せていることが多いですね。
自己紹介
ここで少し自己紹介をさせていただきます。私は精神科医として働いている益田裕介と申します。会社員家庭の出身で、子供の頃は転勤族でした。2010年に埼玉県所沢市にある防衛医大を卒業し、陸上自衛隊勤務を経て、2018年より東京都新宿区の早稲田で開業医をしています。早稲田大学がある、あの早稲田です。なので患者さんは若い人が多く、日々、さまざまな刺激を受けながら臨床をしています。彼らのアドバイスから2019年12月よりYouTubeをはじめ、それを今も続けています。
メンタル系YouTuberの会
専門家による情報発信には正しい情報は当然として、他にも責任と高い倫理観が求められます。しかし、目先の再生数や人気に目が眩みやすいのも人間の弱さであり、その弱さに支配されないように、相互監視の場として2021年2月ごろより、メンタル系YouTuberの会を発足し、色々な人に参加してもらっています。相互監視のみならず、情報交換やコラボ撮影の依頼など、さまざまな助け合いをする場として機能しています。
彼らと交流していると、やはり面白いな、と思うことが多いです。基本的にみなさん優しく、親切なのは当然ですが、それぞれが個性的です。そういう彼らの様子を見ていると、教科書的には精神科臨床というものが目指す先は標準化された、画一的な医療サービスと書かれていますが、実際は、とてもそんなふうにはなれないだろうな、と確信します。
僕自身は自衛隊出身なので、全て統制されるべきという教えが身体に染み込まされているのですが、人間の心を扱い、人間という温かさを伝えていく職業である医療は、そうであってもいけないんだろうな、と気づかされます。
サイエンスやエビデンスを重視しつつも、自由さが滲み出る彼らの言動を見ていると、励まされるというか、まぁ、いいか、と自分の不自由さに気づくことができ、さらに自由に自己表現をしていこう、という勇気をもらえます。
周囲の人たち同様、僕も彼らの表現を外野から見ていて、ヒヤヒヤすることもあります。しかし、コメント欄などその後の反応を見ていると、案外、すんなりと視聴者さんや患者さんらに受け入れられていることも多いです。それらを見たり、知ったりすることで、医療者ももっと自由で、人間らしくあっていいのだろう、と気づかされます。
実際の臨床でのプレッシャーは計り知れず、僕ら医師は優秀であることをアピールし続けなければならないことが多いです。そうしなければ生き残れない厳しさは、自分達の首も締めていることになっているのでしょう。医師も人間であり、同じような弱さを持っていることを伝えていくことは、患者さんのみならず、他の医師や医療従事者にも良い影響を与えられるのではないか、と思っています。
精神科医開業医の会
数ヶ月に一度、精神科を標榜している開業医の人たちと集まり、食事会をしています。2020年の発足当初は経営やスタッフ教育など様々な相談もあったのですが、最近は皆の経営が安定し、ほとんど食事を楽しむだけの会になっています。経営者同士でしか話せないようなものもあり、色々と相談したり、愚痴を言ったり、お金の使い方などを相談するのは、心の安定に大変役立っています。
彼ら全員に言えるのですが、やはり「元気」です。バイタリティに溢れ、経営を拡大したり、趣味を極めたり、スケールが大きく面白いです。相手から見ても、益田のYouTube活動に対して、感心していると思うので、同じエネルギーや成果が他の方面で花開いている、といえばみなさんもイメージが湧くかもしれません。グルメや旅行、外車購入など月並みなものかもしれませんが、身近な話として、贅沢話を聞くのも面白いです。
地域や医師の専門性、所属している医師やスタッフの人数によっても、治療のやり方や価値観、思想は微妙に異なります。どれが正しい、最適なのか、というよりも、それぞれがそれぞれのやり方で最適化した末での個性なので、それらは尊重されるべきなのだ、という全員の共通理解が心地よいです。
治療者は鏡のようであるべきか、それとも人生の先生か?
僕自身のキャリアは、最初は自衛隊という医師が極めて少ない環境から教科書と現場で必死に学ぶところから始まり、大きな医局などに属することなく、若いうちに開業、YouTubeでの情報発信というほとんど未開の分野を突き進んできた、という自負があります。
大きな医局に属さなかったメリットとして、若いうちから決断や判断をする機会に恵まれ、新しいことにチャレンジしやすかったことが挙げられます。一方で、先輩や権威ある人たちからお墨付きをもらえていない、常にエビデンスやサイエンスと向き合いつつ、正解を模索し続けねばならなかった、というデメリットがありました。
僕が今考えているのは「治療者は鏡のようであるべき」という誤解についてです。もちろん、治療者が人生の先生として、患者さんに説教をたれるのは問題でしょう。彼らの価値観や思想を尊重し、その上で一緒に正解を探していくべきです。鏡のようにあるべきとは、自らの主観を押し付けない態度の例えとして登場しましたが、今は誤解されていることも少なくないかと思います。
臨床とは、自衛隊の兵隊のように個性を殺し、皆が同じ行動や態度をとるものではありません。一人の人間として向き合い、笑顔や悲しみを引き出し、共に悩むことを指します。ここでのありようは多様であり、様々な正解がありえるでしょう。
僕が今出会い、交流している彼らは皆個性的で、変わっていて、でも素晴らしい人たちです。YouTubeやSNSなどの個人メディアの登場によって、治療マニュアルやガイドラインで語りきれないものを表現できるようになってきている今、これらの個性を表現し、受け入れられるような土壌を作りたいなと思っています。
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