TOP > NEW > 小説 > 凍てつく空気まで美しい、冬におすすめのSF小説4選
小説

凍てつく空気まで美しい、冬におすすめのSF小説4選

冬木糸一
偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「凍てつく空気まで美しい、冬におすすめのSF小説4選」。冬木糸一さんが書かれたこの記事では、極寒SF小説への偏愛を語っていただきました!

冬真っ盛りの今日この頃。こういう時期は安全で暖房のしっかりときいた部屋やコタツの中で読書を楽しむチャンスだ。今回は、そんな季節にぴったりのテーマとして、「冬」や「氷」や「北」が物語内で重要な意味を持つ、「極寒SF小説」を紹介してみよう。各作品を通して冬やそれに類するものの象徴的、演出的意図を探っていくことで、現実の冬が少しでも楽しくなることを祈っている。

ジャスパー・フォード『雪降る夏空にきみと眠る』(原書初版2018年)

最初に紹介したいのは、ジャスパー・フォードの『雪降る夏空にきみと眠る』(上・下巻)だ。物語の舞台は2000年代イギリスのウェールズだが、この世界の来歴はわれわれの知るものとは大きく異なっている。何しろ、ここは冬になると平均最低気温がマイナス40度以下になってしまう世界なのだ。

そんな環境では人はまともに生きていけないから、冬至の前後8週間の間、人口の99.9%は冬眠をする。ただこれはSFでよくあるポッドに入って一瞬で完璧に時間が過ぎ去るコールドスリープのようなものではない。脂肪をたくわえ、モルフェノックスという大きな副作用(一部の人は意識を失い人喰いの化け物になってしまう)のある薬剤も使う必要があり、命がけの越冬である。冬季の間に動き出す盗賊もいるので、危険から身を守るための冬季取締官という仕事につく人々もいて──と、物語はこの職業についた、チャーリーという人物を主人公として展開していくことになる。

本作にて、冬は過酷な試練を与えるが、真に危険なのは、冬の寒さや盗賊ではなく、孤独だと語られる。夏にはふさぎ込むだけですむが、冬はそれが命取りになると。

「敵は盗賊でも、冬牧民でも、腐食動物でも、不眠症患者でも、氷の隠者でも、大型動物類でも、ナイトウォーカーでも、冬季活動性の齧歯類や肉食性寒冷粘液虫でもない──冬そのものさ。生き延びるためには、まず冬に敬意を払わなくてはならない。さて、おまえさんは何をしなくてはならない?」(*1)

(*1:ジャスパー・フォード. 雪降る夏空にきみと眠る 上 (竹書房文庫) (pp.48-49). 竹書房. Kindle 版. )

同時に本作は冬だからこその「深い眠り」も重要な意味を持っていて──と、中部ウェールズのおとぎ話、神話とからめながら、夢と現実が入り混じったような世界を描き出していく。その結果として本作は、『不思議の国のアリス』的なナンセンス文学のおもしろさもあれば、幻想譚でもあり、夢現空間計画をめぐるSF的着想あり、ロマンスもあれば何者でもない青年が成長していく冒険譚でもあり──と、あらゆるジャンルの玉手箱のような傑作だ。

アンナ・カヴァン『氷』(原書初版1967年)

続いて紹介したいのは、SF小説で「氷」といえば真っ先に名前があがる、アンナ・カヴァンの長編『氷』だ。物語の舞台は、何らかの未知の兵器の使用によって地球の放射能汚染のレベルが上昇、またそれに伴って大々的な気候変動に繋がり、異常な寒さに陥ってしまった世界。旧知の少女の行方を探る男の『私は道に迷ってしまった。』(アンナ・カヴァン. 氷 (ちくま文庫)(p.17))という語りから本編ははじまるが、この言葉通りに、場所どころか時系列もバラバラに、この世界の情景を写し取るように進行していく。

最初、語り手は純粋に少女を案じているのだろう、と思いながら読んでいると、次第に(語り手の)怪しい側面も現れ、世界それ自体も不安定となっていく。具体的な国名や地名は出ず、登場人物の名前すらもないだけでなく、何の前触れもなしに現実ではない、悪夢のような情景が語りの中に挟まれる。

社会のインフラは崩壊しかかり、雪は降り止まず、湿気と寒気は消え去る気配もない。動物たちも混乱しているのか、普段の習性とはかけ離れた行動をとり、人間への警戒心をなくしたオオヤマネコ、見たこともない大きな鳥の移動など、本人の主観と客観的な世界の両方が不安定で終末的な状況がひたすらに描き出されている。本作における冬、そして氷は、悪夢に変わりうる不安と幻想の混合物として演出されている。繰り返し見る悪夢のような作品──ただし、その情景はどこまでも美しい──だ。

先に紹介した『雪降る夏空にきみと眠る』で、終わりなき冬でもっとも危険なのは孤独だ、という語りの部分を紹介したが、本作(『氷』)は極限の冬がもたらす孤独や不安感を、小説ならではの形で表現しているといえる。読みながらこちらも不安定な恐怖に苛まれ、ふっと本から目を離すことで、現実にいることを思い出してほっとする。そうした特別な読書体験が堪能できる、唯一無二の一冊だ。

アーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』(原書初版1969年)

続いては、ル・グインの代表作『闇の左手』を紹介しよう。本作は男女の性の区別を持たない人々が暮らす(性別自体は存在するが、発情期の周期がきた時、パートナーを見つけると、ホルモンの分泌量が変化しどちらかが男、どちらかが女に変化する)惑星社会を描き出したことからジェンダーSFの傑作として紹介されることが多いが、舞台は〈冬〉と呼ばれる惑星で、個人的に冬SFといえば本作は外せない。

物語は宇宙連合エクーメンに所属する大使のゲンリー・アイが、惑星〈冬〉を訪れ、現地国家とエクーメンで連合を結ばせるための交渉から幕を開ける。ただ、これはそう簡単にはうまくいかない。両者の文化は隔たっており、双方が不信感をかかえている。ゲンリー・アイと王との仲介役になってくれた政治家のエストラーベンも存在したが、その交渉過程で王の寵愛を失い、国から追放されてしまう。

本作における舞台は冬の惑星である必要があるのだろうか。いくつか理由は考えられるが、ひとつは、本作の大きなテーマのひとつに孤立と追放があるからだろう。ゲンリー・アイはたった一人でこの惑星に降り立った孤独な交渉者で、エストラーベンも所属する国家を追われた人間だ。両性人類と単性人類という異質な二人は、それ以外何者も存在しない氷原の上で長時間の旅を行い、性を超えた愛情を確立していく。その表現のためには、やはり舞台は〈冬〉でなければならなかったのだろう。

それから数時間というもの一人が道を拾い一人が橇を引き、卵のからの上を歩く猫のように用心深く、一歩ずつ雪面を杖でたしかめながら進んだ。白い曇天のもとでは縁にさしかかるまでクレバスは見えない──縁が張りだしていたり足もとがもろければそれでおしまいだ。一歩一歩が不意打ちであり、落下であり、震撼であった。どこにも影というものがない。白くむらのない無音の球体。つや消しガラスのボールの内側を歩いているのと同じだった。(*2)

(*2:アーシュラ K ル グィン. 闇の左手 (ハヤカワ文庫SF) (p.305). 株式会社 早川書房. Kindle 版. )

本作の終盤、二人が雪原で行う80日にも及ぶ旅の情景は、僕が本作でもっとも印象的なシークエンスでもある。冬SFとしてもおすすめしたい傑作だ。

マーセル・セロー『極北』(原書初版2009年)

最後に紹介したいのは、マーセル・セローの『極北』だ。著者は高名な旅行作家ポール・セローの息子で、村上春樹訳という座組だけでも話題性抜群の本作だが、個人的には数ある終末SF、そして「北」を描いた作品の中でも最上位に入るぐらい好きな作品だ。文章は美しく、それでいてずっしりと重く、予期せぬ出来事が次々と起こり最後までどのような結末に落ち着くのかとどきどきが持続する。

物語の舞台は気候変動によって世界中の環境が悪化し、それに伴って発生した戦争などによって大陸が汚染されてしまった、おそらく未来の極北。国家は崩壊し文明も産業革命以前レベルまで後退し、人々はわずかな資源を分け合い、各地でばらばらに暮らしている。主人公は女性のメイクピースだが、この世界では女性であると知られたら不利になるので男性を装っている。それだけでなく、『私は肝の据わった人間だ。そうでなければやっていけない。』(マーセル・セロー . 極北 (中央公庫)(p.21))という語りに象徴されるように、その振る舞いはまるでクリント・イーストウッド主演のようなハードボイルドさだ。

物語はこのメイクピースが、荒廃した世界を飛んでいた”飛行機”を発見し、その出発地点にマシな文明が残っていることを期待して旅をすることで進行していく。その過程でメイクピースは囚われの身となったり、〈ゾーン〉と呼ばれる特別なエリアに資源を漁りに行ったりと様々な出来事が起こるわけだが(本作はストルガツキーによる『ストーカー』に連なるゾーンものの魅力がある)その紹介は割愛しよう。

冬としての観点から本作で注目したいのは、「極北」に無数の意味をもたせている点だ。まず、現実的な意味としては、地球温暖化の進行に伴って、極北は人々が逃げてくる「逃避先」となっている。ただ、ここも他の場所と比べたらマシというだけで、ユートピアとは程遠い場所だ。環境は劣悪で医療も足りていない。その結果として、メイクピースは世界がダメになった比喩として、「北に行った」という表現を使う。

でも私たちの世界が駄目になったことは、まさに「北に行った」と表現するべきだろう。私たちがどれくらい遠く「北に行って」しまったか、私はそれを学び始めている。(*3)

(*3:マーセル・セロー . 極北 (中央公庫)(p.104))

本当の極北までいってしまったら、コンパスは意味をなさず、同じ場所をぐるぐる回るだけになってしまう。はたして、人類は極北まで行ってしまうのか。はたまた、その前段で耐え忍ぶことができるのか──メイクピースの極北での旅を通して、メイクピースの視点から、その答えが明らかにされていく。北へ行くこと、その意味が、象徴から現実的な意味まで多様な観点から語られた、詩的で美しい作品だ。

おわりに

と、冬SFといえるような作品を四作紹介してきた。不安定さや孤独など象徴・演出面で重なり合う部分も多いが、睡眠や終末の表現としての「北」のように異なる面もある。寒い日々が続く中、暖かい部屋の中でこうした極寒の小説を読むのは、極上の体験になるだろう。

関連するキーワード

\ よかったらこの記事をシェアしよう! /

RECOMMEND

[ おすすめ記事 ]