なぜピクサーはいつだって懐かしいのか。〜『トイ・ストーリー』から探る創作術〜
目次
3DCGアニメーションのトップランナー「ピクサー」
(Author:Coolcaesar、CC-BY-SA.3.0)
ピクサーについてお話させていただきます。
1995年の『トイ・ストーリー』以来、ピクサーは3DCGアニメーションのトップランナーとして2024年現在までに30作近い映画を世に放ってきました。
その歴史は輝かしい傑作にいろどられています。『モンスターズ・インク』、『ファインディング・ニモ』、『Mr.インクレディブル』、『レミーのおいしいレストラン』、『ウォーリー』、『インサイド・ヘッド』、『マイ・エレメント』⋯⋯。だれもが子どものころに一度は見て、魅了されたおぼえがあるのではないでしょうか。
かくいうわたしも一作ごとに初めての鑑賞したときの思い出を鮮明に思い出せます。『インサイド・ヘッド』や『トイ・ストーリー4』での「別れ」のシーンでは非常に心打たれたのをおぼえていますし、『ファインディング・ドリー』に至ってはドリーに自分を重ね合わせて上映中ずっとマジ泣きしておりました。
あるいは、大人になってから観た作品でも楽しめたり、感激した経験を持っているひともいるでしょう。
ピクサー作品は、たとえそれが2024年に作られた初見の作品であっても、どこか懐かしさをまとっています。
そもそも、一作目である『トイ・ストーリー』からしてノスタルジックな味わいが顕著です。『トイ・ストーリー』の特徴とは、古いものしかないことだといってしまってもいい。
そういうと疑問に感じるもいるでしょう。
「『トイ・ストーリー』とは世界初の長編フル3DCGアニメーション作品であり、長らくディズニーが支配してきたアメリカのアニメ映画界にピクサーという新星が現れた画期であり、これまでのアニメにはなかったフレッシュなストーリーテリングを実践した物語であり、とにかく『新しさ』しかなかったのじゃないか」と。
その見方はただしい。『トイ・ストーリー』は技術的側面に関しては圧倒的に新しかった。
古くて懐かしいのは、『トイ・ストーリー』で描かれた世界のことです。
『トイ・ストーリー』は「みんなが観たいと思うもの」とは違っていた
みなさんとうにご承知かともおもいますが、『トイ・ストーリー』のあらすじはこう。
とある郊外の一軒家、アンディという少年が子供部屋で想像力を羽ばたかせていろんなおもちゃでごっこ遊びをしています。
なかでもアンディのお気に入りは西部劇の保安官の人形、ウッディ。ウッディはアンディ少年の親友を自負し、アンディのおもちゃたちのリーダー的存在でもありました。
そこにある日、アンディへのプレゼントとして最新鋭のアクションフィギュアである宇宙飛行士バズ・ライトイヤーがやってきます。アンディはすっかり新しい人形に夢中。
持ち主の寵愛を横取りされたウッディは、嫉妬心からバズにいたずらをしかけますが、それがとんでもない方向へ転がっていき⋯⋯というお話。
制作当時、映画の出資者でもあったディズニーのCEOマイケル・アイズナーは「男の子がお人形遊びする話なんて、だれが観たいとおもうんだ?」(*1)と首を傾げたそうです。
(*1:Charles Solomon『The Toy Story Films:An Animated Journey』White Plains)
今から振り返るとあまりに見る目のなさすぎる発言ですが、しかし当時の情勢をふり返れば、無理からぬ受け取り方でもあります。ディズニーの考える「みんなが観たいとおもうもの」は『トイ・ストーリー』とは違っていました。
どういうことか。
『トイ・ストーリー』の監督をつとめたジョン・ラセターのディズニー時代の師匠的な存在(1981年に『きつねと猟犬』の冒頭シーンを共同して担当)であった伝説的アーティスト、グレン・キーンは「ピクサーとディズニーの違い」を問われてこう答えました。
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ピクサーとディズニーそれぞれの特徴を一言で表すとするなら、ピクサーは「もし”こう”だったらクールじゃない?」、ディズニーは「むかしむかしあるところに……」だ。すぺてのピクサー映画は子どもの目線になって、「もしもおもちゃがしゃべれたら?」といったようなことを考えることから出発する。
出典:https://www.cloneweb.net/rencontre-avec-glen-keane
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今でこそ、完全オリジナル作品が多いディズニーの長編アニメーション作品ですが、2000年代以前はおとぎ話や子ども向け文学作品をベースにした映画ばかりでした。
それこそ「古いもの」の再解釈とノスタルジーがディズニーの十八番だったわけです。
『美女と野獣』を振り返る
1991年公開の『美女と野獣』を見てみましょう。本作ではルーカスフィルムの傘下にあった当時のピクサーチームの開発による3DCG技術が話題となり、ピクサーとも縁深い作品です。あとまあ、個人的に最近海外を訪れたさいに現地で観たミュージカル版の『美女と野獣』がめちゃよかったので。
古くからあるおとぎ話をブロードウェイ・スタイルのミュージカルとして再話したこの映画のラストシーンでは、いろいろあって何もかもうまくおさまり、ヒロインであるベルと王子さまである(元)野獣が親密そうにダンスする姿を見たある子どもが、「これでふたりは『いつまでも幸せに暮らしました(Happily Everafter=おとぎ話の最後につく「めでたしめでたし」的な常套句)』になるの?」と母親に訊ね、母親は「もちろんよ」と答えます。そして、メインテーマソングでもある『Beauty and The Beast』のサビがリプライズされます。
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Tale as old as time.
Song as old as rhyme.
Beaty and the Beast.
時のはじまりからある古い物語。
詩(韻)のはじまりからある古い歌。
それが美女と野獣。
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そうして、しあわせな二人の姿がステンドグラスとして伝説に刻まれ、幕が降ろされます。
何重にも「これはおとぎ話ですよ」と強調されるわけです。
(『ヨーロッパのおとぎ話』という1916年の本に付されたジョン・B・バッテンによる『美女と野獣』の挿絵)
個人的にも『美女と野獣』は大好きな映画で子どものころから何回も観ていますが、そのファンの眼からしてもプロットや話運びにやや強引なところがあるのは否めません。
しかし、ひとびとの共同的な記憶であるおとぎ話や民話を下敷きにすることで、そうした無理やりさを中和しつつ、ある種の懐かしさを帯びさせる。ここにおいてノスタルジーは、たんなる雰囲気やなんとなくの感触ではなく、はっきり戦略として用いられています。
ディズニーは、ウォルト・ディズニーのころからノスタルジーを武器にしてきた会社です。みんなが知っている物語を、現代に即した形でチューンナップしつつ、同時に安心できる懐かしさを提供すること。それが旧来的なディズニーにとっての「みんなが望む物語」です。
最新作の『ウィッシュ』は、そうしたまなざしを自社作品そのものに向けたという点でよくも悪くも興味深いのですが、話をピクサーに戻しましょう。
『トイ・ストーリー』はわたしたちがかつて見ていた世界でもある
グレン・キーンの物言いに従えば、ピクサーはディズニー式のおとぎ話を採用しません。それは大衆性を放棄しているという意味なのでしょうか?
もちろん、違います。『トイ・ストーリー』は、ディズニーとは別の仕方でひとびとの共通の記憶にアクセスしているのです。
おもちゃに想像を託して遊ぶこと。それは多くの人間が子ども時代に通ってきた道です。あのころは生命なき人形たちがほんとうに生きているかのように感じ、純粋に友だちのようにおもえた。「もし、おもちゃたちが生きてて喋ることができたら⋯⋯」という『トイ・ストーリー』の What if は、ただ設定として意外性があるというだけでなく、こうした子どものリアルな心情の反映でもあります。『トイ・ストーリー』の世界は、われわれがかつて見ていた世界でもあるのです。
このようなセッティングが普遍的でないわけがない。ピクサーがディズニーと別の経路でひとびとの共通の記憶にアクセスしているとは、そういうことです。ノスタルジーを呼び起こすという点では、実はおなじ戦略を取っていました。
そして、『トイ・ストーリー』がおもしろいのは、そうした普遍的な子どもたちの記憶と同時に、ジョン・ラセターの個人的な思い出も埋め込まれていることです。
ピクサーの黎明を描いた『ピクサー 早すぎた天才たちの逆転劇』(ハヤカワ文庫NF)などでも触れられている有名な話ですが、ウッディの「取り付けられている紐を引くと録音されたセリフを喋る」という仕掛けは、ラセターが子ども時代に大好きだったおばけのキャスパー人形から得たものです(*2、*3)。また、もうひとりの主人公であるバズも、やはりラセターの好きだったアクションフィギュアであるG.I.ジョーをモデルにしています。映画公開に合わせてバズのおもちゃを出したときも、バズのフィギュアはG.I.ジョーのサイズに合わせて作らせたという逸話もあります。
(*2:映画公開当時のインタビューでは実際にその人形をカメラの前に見せていますから、よほど愛着があったのでしょう)
(*3:David A. Price『The Pixar Touch』Vintage)
1957年生まれのラセターは、60年代から70年代にかけての少年期をカリフォルニア州のホイッティアという街で過ごしました。ホイッティアはもとはガチガチに保守的な田舎町でした(ニクソン元大統領の出身地でもあります)が、戦後の開発によって人口が倍増し、リベラルな郊外の空気も混じるようになりました。ラセターが育ったのは、そんな時期です。
(カリフォルニア州ホイッティアのダウンタウン)
批評家のジョシュ・シュピーゲルが指摘するように、『トイ・ストーリー』には、そんなラセターの少年時代の記憶が色濃く反映されています。みなさんもわたしも同様、マクドナルドで『トイ・ストーリー』シリーズのハッピーセットが出るたびに死に物狂いでコンプリートしたことかと思いますが、実はあれらのおもちゃの一部は『トイ・ストーリー』のオリジナルではありません。
『トイ・ストーリー』に出てくるウッディのおもちゃ仲間のうち、じゃがいもを模したミスター・ポテトヘッド、バネのおもちゃであるスリンキーをダックスフントと合体させたスリンキー・ドッグ、緑色の兵士のおもちゃであるアーミーメン、日本では「つなぐでござる」の愛称で親しまれている繋げるサルのおもちゃバレル・オブ・モンキーズ、これらはすべて50〜60年代にかけてアメリカで人気を誇った実在のおもちゃです。当時最もあたらしいおもちゃに見えたバズ・ライトイヤーでさえ、そのコンセプトは「1950〜1960年代のSF映画やテレビ番組の宇宙飛行士を彷彿とさせ」(*4)ます。
(*4:Josh Spiegel『Yesterday is Forever: Nostalgia and Pixar Animation Studios』The Critical Press)
一方で、90年代当時に流行していた最新のおもちゃは実名で登場しません。99年公開の『2』でようやくスーパーファミコンらしきゲーム機が出てくるくらいでしょうか(*5)。
(*5:ビデオゲーム自体はピザ屋附設のゲームセンターという形で『1』にも出てきます。)
『トイ・ストーリー』の世界は一見90年代的な風景に見えますが、こうして巧妙に現代的なものを隠蔽し、ラセターの過ごした60年代にこっそり塗り替えているのです。
そしてそのことがまた普遍性に貢献してもいる。新しいものは常に古びる可能性がありますが、すでに古く懐かしいものは(その時代を体験していないものにとってさえ!)永遠に古く懐かしいままです。
個人の記憶を普遍性に還元する物語づくりに挑みつづける
(Mr.ポテトヘッド。Author: c’est la Viva/ CC-BY-SA 3.0)
アニメ界の革新者であるラセターは、同時に伝統主義者でもありました。2006年にピクサーはディズニーによって買収され、ラセターはディズニーのアニメーション部門の最高責任者を兼ねるようになりましたが、そのときに彼がまず行ったのは80年代から「ウォルト・ディズニー・フィーチャー・アニメーション」となっていた社名を、「ウォルトが映画を作っていたときの名前に近い」(*6)という「ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ」に変え、手描きアニメーション時代のディズニーのベテランたちを呼び戻すことでした。
もともと、ディズニーは2004年の『ホーム・オン・ザ・レンジ』を最後に2Dアニメーションを放棄することを宣言していたわけですが、3Dの寵児たるラセターはそれを覆して新作2Dアニメーション作品を製作しはじめたのです。
(*6:https://www.gamesradar.com/interview-john-lasseter)
3D進出と並行して行われたディズニーの2D回帰路線は商業的には失敗に終わるのですが、時代に逆行してでも古き良きものを残そうとしたのです。実際、2009年の『プリンセスと魔法のキス』は歴史に残る一作になったといえるでしょう。つづけてほしかったなあ⋯⋯。TVシリーズや短編だと今でも2Dをやってはいるんですが⋯⋯。そうそう、去年の『ウィッシュ』の同時上映の短編『ワンス・アポン・ア・スタジオ -100年の思い出-』は100年分のディズニーキャラをインクと紙という文字通りの手描きで再現していて、泣きそうになりましたね⋯⋯。
さておきつ、3D時代のアニメの先駆者として知られ、実際キャリア初期には3Dの可能性を追い求めたことで憧れだったディズニーを追い出されたラセターですが、そうした彼のイメージと、上のような懐古的な態度はすこしズレがあるように見えるかもしれません。
2011年にラセターはアメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)のインタビューでこう語っています。
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どんなに面白くてアクションに満ちた目に楽しい映画だとしても、最後に大事になるのはハートです。それはひとびとの心に残り、キャラクターへの愛となります。
私が特別誇りにしているエピソードがあります。『トイ・ストーリー』の公開から5日ほどたったころ、私はダラスフォートワース空港に家族といました。そこに通りすがった小さな男の子が、ウッディの人形を抱えているのを見たんです。
そのとき、私は悟りました。あのキャラクターたちは、もう私のものではなく、あの子たちのものになったのだと。
出典:htps://www.youtube.com/watch?v=eS192sE4wLY
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自らの思い出への愛着を作品に託して世に出し、それらを後の世代に明け渡して、「みんな」の記憶にすること。
その草創からアニメーションは技術の発展とともにあり、最新の技術を追求して表現の幅を広げていくことはアニメーションを志すものにとっては当然の営為でした。そうした技術に、物語やキャラクターにハートが乗ることで万人へ届く感動が生じるのです。
それは実はラセターの憧れであるウォルト・ディズニーも同様だったのですが、さておき、ラセターだけでなく、ピクサーは会社としても個人の記憶を普遍性に還元する物語づくりに挑みつづけています。
『ファインディング・ニモ』や『インサイド・ヘッド』は監督であるアンドリュー・スタントンとピート・ドクターそれぞれの子育ての経験から発したものですし、『私ときどきレッサーパンダ』では監督のドミ・シーが中国系カナダ人として不安定な思春期時代を過ごしたことが、『ソウルフル・ワールド』では主人公とおなじく元ミュージシャンだった脚本のケンプ・パワーズのアフリカ系コミュニティでの感覚が(*7)、それぞれ映画に深く根ざしています。
(*7:Disney+『ピクサーの舞台裏』(2020年)
個人的に興味深いのは、最近ではピクサーの初期作品それ自体がミレニアル以下の世代のノスタルジーとなりつつあることです。わたしは昨年、東京ディズニーリゾートのトイ・ストーリー・ホテルに泊まったのですが、子どもたちはもちろん『トイ・ストーリー』世代のお父さんお母さんも、ホテル内に施された意匠に反応したり、ホテル内レストランで食器をお片付けするともえらるロッツォのシールを嬉々として集めたりしているのを見ました。ラセターの思い出はいまやわたしたちの思い出なのです。
ピクサー作品はつねに新しくて懐かしい。だからこそ、誕生から三十年を迎えようとしている現在でも、わたしたちを魅了しつづけているのです。
【他参考映像・文献】
レスリー・アイワークス監督『ピクサー・ストーリー〜スタジオの軌跡』(2007年)
ブラッド・ラックマン監督『トイ・ストーリー20周年スペシャル:無限の彼方へ さあ行くぞ!』(2015年)
エド・キャットムル、エイミー・ワラス、石原薫訳『ピクサー流 創造するちから』ダイヤモンド社(2014年)
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