『めぞん一刻』ヒロインの響子さんが僕をダメ人間にしてくれた。
目次
『めぞん一刻』とは近所の床屋で出会った。
こんにちは。僕はフミコフミオ、神奈川県の食品会社で働く五十歳の営業部長だ。突然だが、1980年代にビックコミックスピリッツで連載された高橋留美子先生の大人気作『めぞん一刻』という作品がある。主人公・五代裕作という青年(浪人〜大学生〜社会人)が音無響子というアパート管理人といろいろあって結ばれるというラブコメ漫画だ。
僕は、『めぞん一刻』で人生が変わった。出会いは小学4年〜5年生のときだ。『めぞん一刻』は大人の世界を垣間見せてくれ、当時テレビアニメが放送されて人気絶頂だった『うる星やつら』と共に、高橋留美子先生の作品群『るーみっくわーるど』への扉を開いてくれた。しかし、『めぞん一刻』は内容が1980年代っぽさ全開のせいか、取り上げられる機会が少なく、最近アニメがリメイクされたり、頻繁にコスプレのネタ(ラムちゃん)になったりしている『うる星やつら』に比べると、現代の若い人たちには認知されていないように見える。残念でならない。『めぞん一刻』を知らないことは人生にとって大きな損失といっても過言ではない、と僕は思う。
『めぞん一刻』との出会いは近所の床屋だった。床屋で順番を待っているとき、僕は漫画の単行本を読んでいた(何を読んでいたのかは記憶にない)。その単行本のカバーにビックコミック単行本の既刊が紹介されていて、その中に『めぞん一刻』というタイトルを見つけた。作者はあの『うる星やつら』の高橋留美子先生。小学生にとって『めぞん一刻』という文字が意味するものがまったくわからず、「あの『うる星やつら』の作者が描いている『めぞんなんたら』という漫画はどういう漫画なのだろう?」と好奇心が刺激されたのである。床屋から書店へ直行して手にとったのが『めぞん一刻』の単行本第6巻で、ページをひらいた瞬間に飛び出してきた音無響子さんの色気にヤラれてしまった。
余談だが、このとき既刊紹介されていて好奇心が刺激されたタイトルがもうひとつある。『美味しんぼ』だ。実は私はそのとき『おいしんぼ』ではなく『びみしんぼ』と読んでしまって、「びみしんぼとは何の漫画なのだろう?」と思ったのも至高の思い出。何はともあれ、僕はこうして『めぞん一刻』と出会ってしまったのである。
『うる星』『めぞん』の同時連載は、『ワンピース』と『鬼滅の刃』を同時に週刊連載しているようなもの。
さて、高橋留美子先生はレジェンド級の漫画家で40年以上のキャリアを持っている、超有名だけれども、知らない人のために再確認の意味を込めて、どれだけ先生が凄いのか簡単に説明したい。
高橋留美子先生は、1980年代に『うる星やつら』と『めぞん一刻』という二大名作を描いて人気漫画家となり、その後『らんま1/2』『犬夜叉』『境界のRINNE』『MAO』と約40年間、ほぼ連続して長期連載作品を描き続けている。単発でヒット作を出すのさえ難しいのに、映像化されるレベルの作品を連発しているのだ。凄すぎる。
さらに『うる星やつら』と『めぞん一刻』は、『サンデー』と『ビッグコミックスピリッツ』という青年誌で同時期に連載されていた。そのうえ『めぞん一刻』の後期は『スピリッツ』が隔週から週刊誌に変わったため、週刊連載を二作、どちらも伝説級の作品を同時に描いていたことになる。ここまでいくと凄すぎるというか怪物級である。そのうえで『人魚の森』などのシリーズ短編や『炎トリッパ―』『スリム観音』のような短編を描いているのだから言葉を失ってしまう。
わかりやすくたとえれば、『ドラゴンボール』と『アラレちゃん』、『ワンピース』と『鬼滅の刃』を同時に連載しているようなものである。大げさではない。当時を知っている人ならわかる。それくらいものすごい仕事をしていたレジェンドなのである。その合間に連作シリーズの『人魚』シリーズを描いているのだからね…。
今年4月に放送されたNHKの仕事の流儀スペシャル『 世界を、子どもの目で見てみたら 〜漫画家 青山剛昌〜』のなかでこれまた『名探偵コナン』のレジェンド級漫画家の青山先生が、「週刊少年サンデーのトップはあだち充先生(『タッチ』)と高橋留美子先生です」とはっきり発言していたのが偉大さを証明している。個人的には、当番組内であだち先生のお元気な姿を見せてもらえたのが嬉しかった。
高橋留美子先生のシビアなお言葉に萌える。
高橋先生は、インタビューや発言から「漫画好き」であるとともに、最新の漫画作品まで読んでそこから吸収しているらしい。実績と才能が最高クラスの人が、努力と研究を惜しまないのだからたまらない。追いつけない。日々、「仕事をどう楽にこなそう?」「FIREしたい!」「宝くじ当たらないかな…」などと、ぼんやり考えているばかりで行動しない僕ら凡人は、先生を一ミリでも見習ったほうがいい。
高橋先生の発言で僕が好きなのは、「体験が多い方がいいなんていうのは、凡人の思い上がり。体験しなきゃ傑作描けない人は、才能がないんだって(笑)」。厳しい言葉だけれど、いろいろなとらえ方ができる名言だと思う。高橋先生だから言えると言ってしまえばそこまでかもしれない。でも、僕は、これを経験がなくても努力次第でなんとかなる、やってみれば才能がついてくる、という人生のエールだととらえている。
『めぞん一刻』を描いていた当時、高橋先生は二十代だった。作中、80年代の風俗業に精通しているような生々しい描写があったけれども、あれがすべて想像力の産物だったのかと思うと「すげえ…」としか思えない。大人になって大人の世界を知ってから振り返ると、先生の想像力と作品への落とし込み方がエグく、驚くばかりだ。そして、下ネタが連発してもエピソードの終わりが悪い気持ちにならないのがとても心地よくて、大人の世界を描いた作品でありながら子供でも楽しめる作品になっていた。だから小学生の僕はハマったのだ。
あの頃、響子さんに恋をしたのは僕だけじゃないはず。
と、高橋先生の凄さというのは日本人の多くが知っていることであるので今さら僕みたいな底辺会社員があれこれ語るのは、漫画専門家や漫画マニアに任せて、このへんにしておいて、ここからは『めぞん一刻』が僕という人間にどれだけ大きな影響を与え、ボンクラにしたのか、プライベートなハマり具合について語りたい。
ひとことでいってしまうと小学生から中学生にかけての僕は、主人公五代君が「響子さん好きじゃあ」と叫んだように、ヒロイン音無響子にノックアウトされてしまったのだ。響子さんは現在の漫画のヒロインでいうと『推しの子』の「アイ」、『鬼滅の刃』の「竈門禰豆子」、『ワンピース』の「ナミ」になるのかな。
1985年、僕が小学6年生の時点で、原作コミックにおいて響子さんが26歳と答えるシーンがあった。僕からみれば大人の女性である。大人で嫉妬深くて面倒くさい性格をしている26歳のアパート管理人の未亡人。そして、人妻。
小学生にとっては未知との遭遇な属性満載の女性である。刺激が強く、罪深い人である。『うる星やつら』のラムは虎柄のビキニを着た宇宙人という子供でもフィクションとわかるキャラクターであったのに対して、響子さんは子供から見れば、大人になったら会えそうなキャラクターに見えたのだ。それが純粋な小学生をボンクラ青年へ落とすきっかけとなった。
年上女性。未亡人。管理人。人妻。そういったワードを見聞きするたびに心の深い部分が共鳴して正常な判断ができなくなる人間になってしまった。結婚するときに処分した「未亡人もの」「人妻もの」成人向けDVDの枚数がその証拠である。また、原作後半に登場する響子さんのライバル兼盛り立て役、女子高生「八神いぶき」も魅力的で僕に「女子高生は素晴らしい」という印象を持たせた。八神の存在によって、高校生になれば明るい毎日が到来すると信じていた僕は、己に訪れた暗黒高校時代に絶望するのであった。
響子さんが好きすぎるあまり、彼女がいる世界にのめり込みたくて舞台である一刻館の図面を描いて、ボール紙で模型を自作したこともある。1階と2階を結ぶ階段と2階階段そばにあるベランダの構造が原作だとよくわからず、頓挫してしまったけど。主人公五代くんの生活が羨ましすぎて、大学入学したときに人形劇サークル(児童文化研究会)に入ったりもした。由緒正しい公式サークルだった。入った後に五代君が響子さんと出会ったのは人形劇サークルではなかったことに気づいた。正常な判断力を喪失していた。響子さんが悪い。
どれもこれも響子さん的な存在に近づくためのアクションだった。原作中に1977年(昭和52年)の響子さんの卒業アルバムが出てきて生年が1959年であることを知った僕(1974年早生まれ)は、本気で「14歳差くらいならいけるやん」と思っていたのである。
『めぞん一刻』をきっかけに他の漫画やアニメにも興味をもつようになっていった。もともとガンダムなどのロボットものやタイムボカンシリーズといったアニメは観ていたけれども、少女アニメにも手を出すようになった。第二の響子さんを探し求めるためだった。人生が狂った。音無響子がラムちゃんと同じような現実には絶対に存在しないキャラクターだと気づいたのは、原作終了時の響子さんの年齢(27〜28歳)になったときである。
いや、響子さんみたいな人物が存在しないことなど薄々気づいてはいたのだけれども、自分がその年齢になって完全に夢の終わりを悟ったのだ。僕が28歳、2002年のことだ。そのとき『めぞん一刻』と出会って18年が経っていた。僕は、音無響子とセイラ・マスのポスターや、綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーのフィギュアに囲まれた汚い部屋で、完全なボンクラに仕上がっていた。
めぞん一刻の余波で斉藤由貴にもハマってしまった。
めぞん一刻の影響で一時期斉藤由貴にもはまってしまった。アニメ版のオープニングソング『悲しみよこんにちは』を歌唱していたのが斉藤由貴だったのだ。今の若い人は斉藤由貴といったらドラマ『遺留捜査』に出てくるおばさん程度の印象しかないかもしれないが、1980年代後半の斉藤由貴は女神だった。清純かつ純朴な美人かつグラマラスなグラビアに完全にノックアウトされた。当時ポニーキャニオンから彼女のシングルは3月21日、6月21日、9月21日、12月21日の3ケ月ごとにリリースされていたのだけれども、僕は発売日にレコード屋で必ずゲットしていた。斉藤由貴が宣伝していた『青春という名のラーメン』を愛した。ロックとクラシックを愛する僕が、唯一愛したアイドルが斉藤由貴だった。
何年かたって彼女の起こしたいくつかのスキャンダルで彼女への愛は醒めてしまったが、『悲しみよこんにちは』は『めぞん一刻』の世界観を見事に再現した名曲であることは40年近くたった変わらないし、『土曜日のたまねぎ』や『砂の城』や『青空のかけら』も名曲なので機会があったら聴いてもらいたい。
余談になるが、『めぞん一刻』は80年代に石原真理子主演の実写版と完結編と称した最終回の追加エピソードの二つの映画がある。両方とも劇場で鑑賞したが完結編は完全にファン向けに作られていたので楽しめた(うる星やつらの完結編と同時上映だった)。実写版は…忘れたほうがいい出来だった。一ノ瀬さんを演じた藤田弓子さんの再現度が高かったのは覚えている。それ以外は…おっとこれは『めぞん一刻』を崇め奉る文章だった。好意的に解釈して、漫画の実写映画化の難しさを40年前に警鐘を鳴らしていた作品としておこう。ときどきあるじゃないですか。漫画の実写映画化で炎上することが……。
今こそ『めぞん一刻』復活を!
高橋留美子先生は令和になっても漫画界の大スターでありトップランナーでありバリバリの現役だ。嬉しいのは最近、過去作がふたたび取り上げられていることだ。つい先日まで延べ1年間4クールにわたって放送されていた、『うる星やつら』のリメイク版が記憶に新しいところだ。令和の時代に昭和感を損なうことなく『うる星やつら』をよく再構築していた素晴らしい作品だった。旧作アニメでは放送されなかったラストエピソード『ボーイミーツガール』まで観ることができてよかった。
さらに『らんま1/2』のリメイクも発表されている。今春放送されていた『アストロノオト』のように『めぞん一刻』のパロディのような作品も出てきている。なんだか『めぞん一刻』リメイクの機運が高まっているような気がしないでもない。80年代の文化の良いところや悪いところが作品に大きくかかわっているので、今、忠実に再現するのは難しいのはわかってはいるけれども、期待したいところである。50歳の大人になった僕は、ふたたび音無響子に夢中になってみたいのだ。
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