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グルメアニメの金字塔『美味しんぼ』を観ることは、なにかを愛している人を愛することでもある。

千葉集
偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「グルメアニメの金字塔『美味しんぼ』を観ることは、なにかを愛している人を愛することでもある」。千葉集さんが書かれたこの記事では、アニメ『美味しんぼ』への偏愛を語っていただきました!

以下、『美味しんぼ』というときには、おおむね「テレビアニメ版の『美味しんぼ』」を指します。原作は長大で複雑な変遷を辿ったシリーズであり、アニメ版と同じ俎上で語るには齟齬が大きくなりすぎるためです。そのことを踏まえ、お読みください

知り合いにMさんというかたがいます。
個人的に、にがてなタイプです。
いつもふきげんなのか、なんなのか、いかめしい顔をしていて、ちょっとこわい。目つきが鋭くてタカのよう。やや、近よりがたい。


ある飲み会の席で、そのMさんと向かいになりました。きまずい。きまずさは、わたしをポンコツにします。20分ほど地獄のような沈黙がつづき、そのあいだ、なんとかMさんとお話ししなくては、とずっとあたふたしてわけがわからなくなってしまいます。そのとき、Mさんのてもとにふと目がとまりました。
醤油にマヨネーズを溶かしている。


「『美味しんぼ』みたいですね」


気づいたときには、そう口走ってしまっておりました。
Mさんの眼がきらりと光ります。殺される、とおもいました。しかし、その口から出たのは殺害予告ではなく、こんな質問でした。


「……アニメの『美味しんぼ』で好きな回ベストスリーは?」
ほとんど反射的に私は即答しました。「『卵とフライパン』、『代用ガム』、『二人の花嫁候補』」
「『二人の花嫁候補』? なぜ?」
Mさんは怪訝そうな顔をします。


「うまくはいえないんですけど……キャラデザがいつもと違う気がするんです。それが新鮮なあじわいになっているというか……」
わたしがしどろもどろにそう答えると、Mさんはにっこりとやわらかい笑顔をうかべて「あの回の作画監督は奥野浩行で……」と語りだし、それから二時間ノンストップで『美味しんぼ』トーク。飲み会が終わるころには、『美味しんぼ』フレンドとして、ふたりでがっちり握手を交わしていました。

アニメの『美味しんぼ』について語り合うこと。それは、ひとつの秘儀であり、ひみつのつながりです。


『美味しんぼ』ファンは社会に息を潜めて暮らしています。ふだんのかれらは、『美味しんぼ』ファンであることを公言しません。日常生活において、『美味しんぼ』の話をする機会はないからです。しかし、ひとたびファン同士がたがいの存在を認知しあった瞬間、『美味しんぼ』を語る契機を見出した瞬間、かれらは爆発的に『美味しんぼ』について語り出します。とめどなく。たえまなく。
そうしたひとの数は、おそらくあなたの想像以上に多い。ふだんはイカしたアイツも、ちょっと気になるあのコも、『美味しんぼ』視聴者かもしれない。もしかすると、あなたの親兄弟縁戚友人も全員視聴済みかもしれない。みんな今ごろどこかで、あなただけをハブって『美味しんぼ』トークで盛り上がっているかもしれない。
アニメ『美味しんぼ』ファンは、いまやそうしたひとつの波を形成しつつあります。80年代の終わりから90年代初頭にかけて放映されたアニメが、です。
なぜ今、アニメ『美味しんぼ』なのか?

さしあたって、原作の説明からしましょう。
といっても、説明不要の国民的超有名グルメまんがですね。いまさら、なにをいえばいいのか。
原作に『野望の王国』『海商王』の雁屋哲、作画に花咲アキラを迎え、1983年から『ビッグコミックスピリッツ』で連載開始。東西新聞社のグータラ記者である山岡士郎が新入社員の栗田ゆう子をパートナーに、社の一大文化プロジェクトである「究極のメニュー」作りに参加します。そこに、ライバル新聞社が山岡の憎むべき父親でもある日本一の美食家・海原雄山を据え「至高のメニュー」企画をぶちあげ、「究極VS至高」の料理対決が始まる……といったあらすじ。
個性的なキャラたちが織りなすドラマと食に関する啓蒙がおおいに受けて、80年代に巻き起こったグルメブームのバイブルとなり、以後は町の歯医者さんの待合室やCoCo壱のマンガ棚の鉄板ラインナップとして広く読み継がれてきました。現在でも「グルメマンガ」といえば、まっさきにあがる大古典です。
教科書的な説明は、そんなところでしょうか。

(ジャンボ茶碗蒸しとジャンボロールキャベツの出てくる伝説の水島努演出回

そのマンガ『美味しんぼ』がテレビアニメ化されたのが、1988年~92年にかけてのこと。制作会社は『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』でおなじみのシンエイ動画。スタッフには水島努を始めとして、その後の日本アニメ界を担うことになるビッグネームたちがズラリ。ちょうどバブル絶頂から崩壊直後に放映されていたこともあってか、リッチでモダンなバイブスが全編に流れています。オープニング/エンディング曲(「YOU」「TWO OF US」「Dang Dang 気になる」「LINE」)も、すばらしくシティポップ! といったおもむき。 よく『名探偵コナン』は失われてしまった90年代トレンディドラマの残り香を今にあじわえる数少ない作品といわれますが、アニメ『美味しんぼ』はそんな空気を濃厚に味わうことができます。

しかし、時代の雰囲気をまとっているだけなら、2020年代にこれほどのご新規さんを集めはしませんし、Mさんのような熱狂的な語りを誘発しもしません。なにか、秘密がある。

『美味しんぼ』の魅力をひとことで現すとしたら、「強烈なキャラクター」に尽きるでしょう。メインである山岡と雄山もさることながら、各話のゲストキャラクターも忘れられない印象を残します。
たとえば、「古酒」というエピソードがあります。古今の酒に詳しい古吉という文芸評論家がおりまして、山岡と栗田は「究極のメニュー」づくりの参考にしようとインタビューへ赴きます。ですが、会ってみるとこの中年、まっ昼間っから酒臭い。しかも、行く先々で飲み歩きます。山岡と栗田が対応に窮していると、古吉は神妙な面持ちでこう言います。「私がこうして一日中酔っ払っているのは……恥ずかしいからなんだ!」


なにが恥ずかしいのか。曰く、酒と文学は切っても切れない関係にある。文学には精神(スピリット)が必要であり、傑作文学のあるところ、かならず蒸留酒(スピリッツ)がある。してみると、日本に蒸留酒の文化はない。こんなことで良質な日本文学が産まれるはずもない。だから、私は恥ずかしいッ! というわけ。
なかなか、あきれたものいいです。ですが、この古吉は自分の理論をかたく信じている。
文学はともかく食には詳しい山岡から「蒸留酒なら日本にも泡盛がある」とツッコみが入りますが、彼は納得するどころか逆上し(まあ山岡の態度も悪いのですが)、自らの影響力を駆使して有力作家たちに東西新聞をボイコットさせてしまいます。この圧力により、東西新聞はたちまち窮地に。

言い方。)


むかしの文芸評論家って、そんなに権力があったのか? という疑問はさておき、観たら忘れられないキャラクターであることは間違いない。
こうした食に関してやたら偏執的なキャラクターを、山岡が折伏していくのがアニメ『美味しんぼ』のパターンのひとつです。いわば、「憑きもの落とし」ですね。
事実、こうしたゲストキャラたちはどんなに偏屈であっても、山岡に論破されたとたん、きゅうに改心して友好的になります。そのうち、一部のキャラは再登場することさえあります。闘いによってライバルから友へ、そうして仲間を増やしていく。少年バトルまんが的な構造が、ここにあります。敵は登場時に強力(=偏屈)であればあるほど、仲間になった達成感もひとしおです。
そうした美味しんぼヴィランたちの究極形こそが、山岡の父にして終生のライバル、海原雄山であるわけです。

とはいえ、山岡の「憑きもの落とし」は、敵味方の線引きを必要としないケースもあります。たとえば、「学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ」のネットミームでおなじみの「トンカツ慕情」回。ゲストキャラの里井は、東西新聞の「食べもの相談室」という相談コーナーに「30年ぶりにアメリカから日本に帰国してきたのだが、30年前に日本で食べたようなおいしいトンカツに出会えない」という悩みを持ち来んできます。山岡は、この里井の記憶を思い出す手助けをおこなっていきます。
いわゆる人情噺のパターンです。山岡といがみ合う自称食通の悪役と、人情噺回の善良な庶民とでは、一見正反対ですが、「その人物の持つ食に対する強いこだわりを山岡が解きほぐしていく」という点でかさなります。

この構造はミステリとも相性がいい。
ある人物の抱く強いこだわり、すなわち偏愛は、他人から見たら謎めいていることが多いものです。かつて、英国の探偵小説家G・K・チェスタトンは、狂人たちの奇怪奇天烈な行動を解き明かすために、みずからもまた狂人であると任じる詩人探偵を創造しました。自分がふつうではないからこそ、ふつうでない他人の理路をたどれる。自身が異常なまでに食にこだわる山岡だからこそ、『美味しんぼ』キャラたちの偏愛の謎を解き明かせるのです。

完全黙秘する”容疑者”の”動機”をその行動から割り出していくホワイダニット回「杜氏と水」)


くわえて、『美味しんぼ』キャラたちのこだわりの発生源は「昔の思いで」や「おふくろの味」であることが多いです。これは、山岡の傾向である「(特に生鮮食品に関しては)昔の方がよかった」という思想とよくマッチして、ノスタルジックな感動ストーリーにしあがります(ネガティブなこだわりの場合は「幼少時のトラウマ」ですが)。この「思いで」の映像がアニメだとことさら映えます。
食べものによって幼少期の記憶を刺激されるシーンがクライマックスとなるアニメといえば、『レミーとおいしいレストラン』ですが、『美味しんぼ』はピクサーを二十年も先取りしていたわけですね。

特定の物事にすさまじくこだわること。それは自分には関係ない、興味が無い、とおもわれるかもしれません。
しかし、ほんとうにそうなのでしょうか?
「暑中の味」というエピソードを見てみましょう。東西新聞社の社主である大原が、夏バテで体調を崩しつつある。山岡は胃腸にやさしいものを、とおかゆを彼に勧めますが、大原は取り乱して頭を抱えながら「あんなグニョグニョして気持ち悪いもの! あんなの食べるくらいなら夏バテのほうがマシだ!」と叫びます。そして、ついには入院までしてしまうのですが、そこでも病院食のおかゆに手をつけようとしません。

(おかゆ恐怖症)


すごい。
おかゆですよ? 


療養食としてのおかゆは格別ではありますが、ふだんからおかゆに対して、なにがしかの感情を持っているというひとはあまりいないでしょう。積極的に食べたいわけではないが、食べろといわれたら食べる。大半の人間にとって、おかゆとはそういう存在ではないでしょうか。
それを大原は恐怖に歪みきった顔で拒む。いくら美食家とはいえ、尋常じゃありません。なにか特別なトラウマが? ともおもわれますが、劇中ではそれは明示されない。ただ、ひたすらに「まずい」の一点でおかゆから逃げるのです。

おかゆに特に感情を抱かないわれわれからすれば、大原は遠いところにいる奇人のようにおもわれます。しかし、そんな大原の狂態を目撃したあと、栗田はふとこんなことを考えるのです。「そういえば、私もおいしいおかゆを食べたことはない気がする……」

栗田のこの感慨には同意するひとも多いのではないのでしょうか。

同時にこれは問題提起でもあります。
なぜ、われわれは「おいしいおかゆ」を期待してはいけないのか?
なぜ、われわれは最初から「おいしいおかゆ」をあきらめてしまっているのか?

そう、『美味しんぼ』に出てくるキャラクターたちは山岡、雄山から一話限りのゲストキャラにいたるまで、みんな、食べものに期待することをあきらめられない人たちなのです。
でなければ、だれが寿司をMRIスキャンにかけることをおもいつくでしょうか? アイスクリームを日本刀でまっぷたつにするでしょうか? 目玉焼きの焼きかたで国際会議を開くでしょうか?


わたしたちは、心のどこかで、そうした熱情をうらやましく感じている。だからこそ、アニメ『美味しんぼ』ファンはかれらを愛し、かれらについて語るのでしょう。アニメ『美味しんぼ』を愛するということは、偏愛するひとびとを偏愛するということなのですね。

それと忘れてはならないことですが、現代にアニメ『美味しんぼ』がこれほどまでに盛り上がっているのは、発信側の努力もあります。
現状、月額制動画配信サービスではU-NEXT、NETFLIX、Hulu、FODなどでアニメ『美味しんぼ』のデジタルリマスター版を視聴できます。一方、2020年に開設されたYoutubeの公式チャンネルでも45日周期で数十話分を無料公開、しかも第一話と人気エピソードは常時公開という太っ腹ぶり。のみならず、ショート動画やSNSの活動も活発と、なぜ30年前のコンテンツにここまで……と驚嘆してしまうほどに公式が熱心にファン活動を展開しています。

(雄山の「ちょっと優しい」ところが出てくるエピソード傑作選。


こうした背中を見せてくれる存在がいるおかげで、過去30年でいまこの2024年が史上もっともアニメ『美味しんぼ』に入りやすい時期にあるといえます。なにぶんバブル期に作られたアニメなので、今だと価値観的にややキツいところもありますが、「まあ……30年前だしな!」で耐えられます。耐えられなかったらすいません。


耐えられそうなら観てみましょう。究極のアニメドラマ、『美味しんぼ』。

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