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CLAMPヲタクのライターが国立新美術館開催のCLAMP展を観覧してきたので圧巻の展示内容を早口で語りたおす!

海燕
偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「CLAMPオタクのライターが国立新美術館開催のCLAMP展を観覧して来たので圧巻の展示内容を早口で語りたおす! 」。海燕さんが書かれたこの記事では、CLAMPへの偏愛を語っていただきました!

喩えるなら、ほむら。

そう、ものすさまじく燃えさかる猛々しさをそのままに、冷然と凍てついた火焔の渦だ。

いまやベテランとなり、大御所とすら呼べそうなポジションにある漫画家集団CLAMPが描き出す世界は、そのような盛大な矛盾をもってしか説明できない不思議な緊迫感を備えている。

まず同人誌の世界で大人気を博し、その後、少女漫画から登場した彼女たちが生み出す作品の数々は、壮麗にして優艶、耽美にして凄絶、ちょっと他に類例を見出だしようがない強烈なオリジナリティを有している。

CLAMPの前にCLAMPなく、CLAMPの後にもやはりCLAMPあるはずなし――あえていうなら、そういうまさに唯一無二の作家集団というべきだろう。

今回、国立新美術館においてそのCLAMPの膨大な作品を集成し展示した大展覧会が開かれるという情報を目にし、プロデビュー作からほぼ全作品を追いかけているCLAMPオタクのぼくは居ても立ってもいられずに上京、プレス向けの内覧会にわざわざ参加し観覧してきた。以下はその記録である。

いやもう、オタクが愛するものを語るとき特有の早口で興奮しながらまくし立てているものと思ってください。

ひと言でいうなら、すげえ、すげえ、すごすぎる! めちゃくちゃありがたくもありがたい展覧会なのだった。もしぼくがプロハンターだったら、いまごろ感謝の正拳突きを始めていると思う。その代わりにこうして原稿を書いているわけだ。

国立新美術館がCLAMPで埋まる

さて、そういうわけでぼくは幸運にも開催前にCLAMP展を観覧する機会を得た。

ほんとうは開催初日とその翌日という土日を避け、7月上旬の平日に行く予定だったのだが、結果としてはその必要はなかったことになる。

「あの」国立新美術館を数か月にわたってジャックしての大規模なイベントということで、以前から大きな注目を集めていたことをご存知の方も多いことだろう。

その公式X(旧Twitter)は事前に数万人ものフォロワーを獲得していたくらいで、とにかくすさまじい注目度である。CLAMPの人気のすごさをあらためて思い知らされる。

まあ、次々と淡々と延々とヒット作を出しつづけ、単行本の累計発行部数は数千万部という超大物であるからあたりまえといえばあたりまえのことではあるのだが、CLAMPがいまとくらべ「相対的には」無名だったころから追いかけている身としては感慨深いことである(そもそもデビュー前から有名で、知っている人は知っている集団ではあるのですが)。

いまさらだけれどほんとうに大きな存在になったんだなあ。すごいや。

これもまたいまさらいうまでもないことだが、CLAMPには無数の傑作、名作、ヒット作がある。

インド神話に題材を得たデビュー作の『聖伝』、衝撃的な結末が印象的な『東京BABYLON』、大富豪の少年が探偵団を作る『CLAMP学園探偵団』、世紀末を舞台とした未完の野心作『X』、初のテレビアニメ化作品でもある『魔法騎士レイアース』、いまや伝説的に語られる『カードキャプターさくら』、週刊少年漫画業界へ進出しさらにさらに知名度を拡げた『ツバサ』、青年誌連載のラブコメディ『ちょびっツ』など、枚挙にいとまがない。

今回の展覧会はそのCLAMPの全貌を一望にできる構成となっていて、ぼくは展示物のその一つひとつを眺めながら「尊み」のあまりくらくらしてくるくらいだった。

ただ、今回の展覧会は前期と後期に分かれており、それぞれ展示内容がまったく異なるので、ぼくが見たのはあくまで前期の内容のみである。これから行こうと考えておられる方はその点について注意していただきたい。

CLAMPの絵は「うまい」

そういうわけなので、いまのぼくにはCLAMP展の前期後期を通した全貌を語ることはできないため、とりあえず自分が見てきた前期の内容について書き記す。

いやあ、これが素晴らしかった! あたりまえのことではあるが、CLAMPの絵は「うまい」。しろうと目で見ても技術的に卓越している。

しかも単に技術だけに還元できないような強烈な魅力がある。「線に艶がある」といったら良いのだろうか、何というか「絵が生きている」印象を受けるのである。

ふつう、漫画家でもイラストレーターでも描線の艶を維持することは容易ではなく、どこかでピークを迎えてその後は下降線を描く描き手のほうが圧倒的に多いのだが、CLAMPは何をどうやっているものなのか、その絵画的引力はデビュー作から何十年が経ってもまったく衰えるようすを見せない。

ただ天才なのかもしれないし、あるいは何か魔法を使っているのかもしれない。その両方かも。

今回、プレスとして参加できるという役得を良いことに何十枚もの作品をカメラに収めてきたのだが、しろうと以下のカメラマンの腕前はおいておくとして、原画の魅力は圧倒的なものがある。

とくに入室してすぐのへやにカラーのイラストレーションが大量に並べられている光景はファンというかオタクとしては歓喜するしかないものだった。

ああ、あの絵もこの絵も見たことがある! 阿修羅が、さくらが、神威が、皇昴流がそこにいる!! あたかも生きているかのようなリアリティで、たしかにそこにいるのだ。これが喜ばずにはいられようか。

そこに展示されている作品はいずれも昔から好きで読んでいたものだ。そのシーンの一つひとつにあるいは涙し、あるいは興奮した記憶がある。

そのオリジナルの画面が目の前にある。これはね、オタクとしては夢のような一場面というしかないことですね。

CLAMPの絵柄はその時期により作品によって微妙に異なっており、はっきりこれが特徴だとはいいづらいものがあるのだが、しかしどの画面もみなかぎりなくCLMAPらしさとしかいいようがない強烈な個性が刻印されているように感じられた。

それはつまり冒頭に述べたようなある種の矛盾である。力づよさとかぎりない優しさ、すさまじいまでの力感と女性的なたおやかさ、そういったものがひとつの絵のなかで同居している印象。

いや、もっともすぐれた画家の作品とはいずれもそういうものなのかもしれないが、CLAMPにはとくにそういう印象がつよい。

何といっても彼女たちは同人誌から商業誌、少女漫画から青年漫画まで舞台を選ばず傑作を生みだすたぐいまれな作家たちなのだから。

マンガという名の珠玉の芸術

まあとにかくあまりに素晴らしいので讃嘆の言葉が追いつかないありさまである。

とくにマンガ作品の原画が延々とつづくスペースにはほとんど恍惚すら感じる。雑誌で、あるいは単行本で見てきたシーンのオリジナルばかりが並んでいるわけなのだ。

そのなかにはほとんど歴史的な意味で有名なシーンもあれば、「おお、よくこの場面を選んだな」と思うくらいなにげないシーンもあるわけなのだが、いずれも後光がさして見える。

個人的には、『魔法騎士レイアース』の最後のひとコマ、あの伝説の「こんなのってないよ!」のカットを見つけたときがほんとうに嬉しかった。

いやもう仕事であることを忘れてしまいましたね。まあ、もともとこの原稿を書くことは取材であっても、展覧会の閲覧は趣味でやっているといえなくもないのだが。

とにかくその展示内容は膨大にして多岐にわたり、見ごたえがあるといったレベルではないことはたしかである。これから見に行くひとは覚悟して行ってほしい。

いまさらながらにCLAMPが、「質」はもちろん「量」の面でも尋常ではない仕事を成し遂げて来たことがわかるはずだ。

それでもまだここにおさめられた原稿は全体のごく一部なのだから、本物のプロはおそろしい。

どんなに傑出した才能をもったクリエイターであっても、一文字一文字と打ち込んだり、一本一本と描いていくことでしか作品を生み出すことはできない。その、あまりにあたりまえであるがゆえにかえって忘れてしまいそうになる真理を思い出した。

じっさい、これだけの仕事を生み出すためには、どれほどの時間と労力がかかっているのだろうと考えると、ドがつくほどの凡人代表のぼくとしては空恐ろしくなってくるばかりだ。

天才とは、通常の意味を超えた努力の蓄積でしかありえない。そういった、口に出すにはあまりに陳腐な表現が「物量」というかたちで納得させられてしまう、そういう一面がある展覧会でもあった。

愛の作家としてのCLAMP

また、この展覧会では、CLAMPの「L」を「LOVE」をあらわすものと見て、さまざまな「愛」のかたちが描き出されていたのだが、ぼくはいまさらながらに「CLAMPとは愛の作家なのだな」と確認できた。

じっさい、CLAMPは「リベラル」だとか「多様性(ダイバーシティ)」といった言葉すら陳腐に思えてくるくらいに、いろいろな愛のかたちを描く作家である。

彼女たちはたとえば「百合」というジャンルがまだほとんど存在しなかったころから女性どうしの恋や愛を描いているし、男性同士の愛、あるいは年の差のある愛に至ってはいうまでもないほどである。

『ANGELIC LAYER』や『カードキャプターさくら』で「女の子どうし」の関係性にめざめた人も多いだろう。

CLAMPがとくべつなのは、ある種ボーイズ・ラブ的な、あるいは百合的な、関係性「だけ」を特権化してそれのみを描くのではなく、あらゆる関係性を平等にすばらしいものとして描いている点なのだと心底思う。

異性どうしの愛情、あるいは同性どうしの愛情、あるいは年の差がある愛情、あるいはまた教師と生徒などさまざまな障害がある愛情だけを特権的に描く作家は大勢いる。

それはそれですばらしい仕事であることもありえるが、CLAMPのように老人から青年まで、若者から幼女までを巧みに描き出し、しかもそのすべてで「カップリング」を成立させる描き手はほかに思いつかないわけではないにしても、数少ない。

ありとあらゆるジャンルと固定観念を超えて、「愛こそすべて」、「愛があればどんな関係も許される」と高らかにうたい上げるCLAMPは、やはり現代日本が生み出したもっともリベラルな作家というべきなのだろう。

この展覧会では、その真髄を味わい尽くすことができる。

そういうわけなので、まだ行こうかどうか迷っているあなたには花丸付きでオススメだ。

この記事が掲載された日を過ぎてもまだしばらく開催しているはずなので、ぜひ開催期間中にその世界に飛び込んでほしい。

迷ったなら行く、これがしあわせなオタクライフを送るコツである。

日本の漫画界でもおそらく最も花やかで柔らかなはがねの戦士と宝石の姫君たちの世界がそこにある。

Go!

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