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なぜ”デカい犬”は”いい”のか。――巨大な犬の出てくるフィクションについて

千葉集
偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「なぜ”デカい犬”は”いい”のか。――巨大な犬の出てくるフィクションについて」。千葉集さんが書かれたこの記事では、デカい犬への偏愛を語っていただきました!

犬はいい。

かわいいとか、かしこいとか、無垢とか、役に立つとか、ネットミーム化すれば仮想通貨のアイコンになってなぜか日本に像が建つとか、そういう次元での「いい」ではありません。ただ、ひたすら、犬はいい。

(仮想通貨になった犬の像。千葉県にある)

【ソース:Wikimediacommons/Fred Cherrygarden】

ところで、デカい犬というジャンルがあります。

これもまた、いい。

あなたがゴールデンレトリバーなりセントバーナードなりを飼っているならば、すかさず、「いいよね〜、大型犬」と同意することでしょう。それに飽き足らず、手元のハイテクスマホを駆使して、SNSで大型犬のよさを訴えるツイートを飼い犬の写真とともに拡散して全世界に共感の嵐を巻き起こし、その犬をネットミーム化して仮想通貨のアイコンとし、イーロン・マスクの投資を得てその犬の像を建てることにもなる。

まあ、わかる。それは、そう。

それはそうなんですが、ちょっと慌てないでほしい。私はここで大型犬の話をしているのではありません。デカい犬の話をしています。

デカい犬、というのはもちろん大きな犬なのですが、大型犬のことではありません。超大型犬のことでもない。

デカい犬とは、人間などを遥かに超える体高を持つ犬のことです。

そんな犬、実在するのか。します。

(京丹後市にある犬ヶ岬。犬に似ているからこの名がついたそう。昔の人の感性はよくわからない)

【ソース:WikimediaCommons/VinayaMoto】

こんな話があります。むかしむかし、今の長野県の東のあたりに犬ヶ峰と呼ばれる山がありました。そこによそから新しい殿様がやってきて、あの山クソ邪魔だなー、とおもいました。その山を遠回りするのがめんどうなので、領外からの交易商たちから避けられまくり、経済に大ダメージをあたえていたからです。

殿様は「あの山さえどければ、うちの藩は大繁盛!」と一心に信じ、山にトンネルを開けることを決意します。自らツルハシをかついで工事現場の先頭に立ちました。

そうして、殿様は犬ヶ峰の麓の固そうな岩に、カツン、と最初の一撃をくわえます。すると、たちまち、山が震えだしました。殿様は地震とおもいましたが、これが違う。

山が突然隆起し、四肢が生えました。そして、キャインキャイン喚きながら暴れ出したのです。

そう、犬ヶ峰は実は山岳サイズの巨大な犬だったのです!

たちまち殿様は巨大犬に踏み潰されて圧死。山だった犬はそのままどこぞへと駆け出して、ついぞ戻ってきませんでした。

こうして、邪魔な山と邪魔くさい殿様を除いた藩は交易で栄えるようになったのでした。めでたしめでたし。

この昔話の示す教訓はふたつ。ひとつは経営者は下手に現場にでしゃばらないこと。

もうひとつは、デカい犬は実在するから注意しろ、ということ。

(北欧神話のフェンリル。そういえば、阿部桃子『フェンリル姉さんと僕』(秋田書店)という主人公の憧れの先輩が実はフェンリルで姉な北欧神話伝奇まんががありましたね。かわいらしい高校生の先輩がデカい狼に変身して戦います)

【ソース:パブリックドメイン(A.Fleming)】

こんな話もあります。私も、そのむかし、デカい犬に会いました。

幼い時分、祖父の家では巨大でふさふさした犬を飼っていました。たいていは居間のすみっこの座布団ですやすやとねむっているだけでしたが、たまに起きて立ち上がり、もそもそと餌などをむさぼっておりました。その体高は私が見上げるほどもありました。

私はその犬に抱きつくのが好きでした。汗臭くて角ばっていましたけれど、ふしぎと心地よく、安心できたのです。

私はその犬とよく一緒に昼寝もしていました。が、ある年の夏休みに祖父の家に行くと、犬はいなくなっていました。

犬はどこに行ったのかと祖父母に訊ねても、ろくな返事は返ってきません。あいまいにはぐらかされたまま、犬の行き先はけっきょくわからないままに終わりました。

この話の教訓もふたつあります。ひとつは大人というのは子供に対してつねに明瞭な答えを返してくれはしないのだということ。

もうひとつは、デカい犬は存在し、すぐにどこかへ消えてしまうから注意しろ、ということ。

とにもかくにも、私はデカい犬が好きです。

私だけではありません。デカい犬ファンは全世界に存在します。神話や民話をひもとけば一目瞭然です。たとえば、北欧神話には災厄の狼フェンリルがおり、ギリシア神話には地獄の番犬ケルベロスがいる。他にも英国には「皿ほどに大きな眼をもつ」デカいバーゲストがいる。

(伝説系のデカい犬で愛らしさナンバーワンのジェウォーダンの獣。もちろん、遭遇すると死ぬ。映画にもなりました)

【ソース:パブリックドメイン】

これらの神話的なデカい犬の共通点は大雑把に要約すると「会うと死ぬ(か死んでる)」です。

デカい犬を見ると、人は(あと神も)死ぬ。

たぶん、よすぎて死ぬのでしょう。

三国志の武将の八割が孔明におちょくられて憤死するように、デカい犬に出会った人間はよすぎるあまりに死ぬ。この現象をデカい犬の専門家である私は「デ犬よ死」と呼びます。呼びにくすぎる。今後は使わないから憶えなくてもいいです。

しかしフェンリルにしろケルベロスにしろ、いずれも神話のデカい犬です。紀元前に最高潮を迎えたデカい犬ブームはもう二度とリバイバルすることがないのでしょうか?

(ケルベロス表象。ギリシア神話を題材にしたビデオゲーム『Hades』のケルベロスはとてもかわいかったですね。ディズニーの『ヘラクレス』に出てくるケルベロスもいいよね)

【ソース:パブリック・ドメイン(Felton Banquest)】

いやいや、現代においてもデカい犬はそこそこいます。

筆頭といえば、クリフォード。

「クリ……だれ?」とお思いの読者も多いでしょう。たしかに「パディントン=クマ」、「プーさん=クマ」、「宇多田ヒカル=クマ」といったように名と対応する動物が即座にイメージされるような代名詞的な認知度はないかもしれません。

(映画とは全く関係ない赤い犬の切り絵)

【ソース:WikimediaCommons/Fanghong

しかし、デカい犬界では随一のビッグネームです。元は児童書で、一昨年には日本で映画も公開されました。邦題は『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』。

もう、なんか、タイトルだけで「ああ、赤い子犬がでっかくなっちゃうんだな」ということが一発でわかります。ニコニコしちゃいますね。

ところで、『でっかくなっちゃった赤い子犬 僕はクリフォード』はある定式を映画界にもたらしました。「デカい犬は狭い室内にいれると窮屈そうでいい」と「室内で窮屈にしていたデカい犬が外に出て駆け回ると開放感がハンパなくていい」のふたつ。抑圧と解放。映画の快楽の基本がここに完成されています。

これらのパターンを組み合わせると、そのままデカい犬物語のプロットができあがる。流用すれば、あなたも今日からデカい犬物語作家です。すばらしい。

この事実に気づいた界隈では「クリシェ好きなハリウッドの脚本家連中にこんないい道具を与えたら、映画界にデカい犬ブームが起きちゃうんじゃないか?」とにわかに期待が高まりました。映画は気の長いビジネスなので波が来るのは早くても三年後です。われわれは待ちました。三年、待ちました。

そうして今日、『クリフォード』につづくデカい犬映画は現れていません。

このエピソードの教訓はみっつ。

ひとつ、デカい犬は商業的に成り立たないと思われている。ふたつ、期待はつねに裏切られる。みっつ、ハリウッドはクソ。

日本のフィクションにもデカい犬は登場します。

私はまんがを読むのでまんがの話になるが、本邦におけるMFDD(モスト・フェイマス・デカい・ドッグ)といえば『HUNTER×HUNTER』のミケです。

ミケは暗殺一家ゾルディック家の番犬で、まあデカい。デカいだけではありません。高度に訓練された狩猟犬で、不正な侵入者を秒で食い殺すんですね。

そんなミケに対して主人公であるゴンは野生児として育った自分なら動物と仲良くなれるぜ的に突っ込んでいこうとするのだけれども、そのあまりに「異物」すぎる瞳に見据えられ、自らの思い違いを悟る。

自分のものさしでは絶対に超えられない壁がある。それを思い知らされる。しびれますね。

動物というのはいついかなるレベルにおいても人類にとって他者であるわけですが、デカい犬というのはとりわけそのことを痛感させてくれます。非常に啓発的な存在といえるでしょう。どうりで会ったら死ぬわけだ。

しかし、基本的にフィクションにおけるデカい犬というのはミケのようにワンポイント(犬だけに、犬だけにね)で出演するか、よくてマスコット的なサブキャラに限られます。なかなか主役級で扱われる例は見かけない。

そんなデカい犬不毛の時代に彗星のごとく現れたまんが作品がありました。

スケラッコの「大きい犬」。

https://to-ti.in/product/bigdog

(トーチの公式ウェブサイトで無料公開中。いまならデカい犬が無料!)

あらすじはこう。インドに出かけるという友人から離日期間中の留守番を頼まれた青年・高田。彼が留守番先の友人宅へ向かうと、住宅街の一角にデカい犬が鎮座していた。

犬好きであるがゆえに犬語を解する高田はそのデカい犬こと大きな犬さんと知り合い、交流していくこととなる――。

20ページ程度の短篇ではあるのだが、大きな犬さんのほわほわした質感といい、犬をリスペクトするがゆえに「さん」づけで呼ぶ高田といい、実によさしかありません。いきなり出てきていきなりデカい犬まんがの最高峰に到達してしまいました。

デカい犬で短篇もいけるなら長編もいけるのでは?

そう考えたかどうかは知りませんが、デカい犬まんがの最新版が昨年登場した『凍犬しらこ』(安原萌)です。

内容としては氷河期の訪れた北海道を舞台に、ある青年が雪でできた犬である「凍犬」のしらこと旅するポストアポカリプス股旅もの。

なにはともあれ、ビジュアルがいい。犬でできた犬。しかも喋る。「大きい犬」といい、デカい犬はなぜか人間とコミュニケーションを取れるという風潮ができつつあります。よい。

ハーラン・エリスン曰くポストアポカリプス世界において「少年は犬を愛するもの」だが、犬は別に少年の占有物ではありません。あまねく世界に開かれたみんなのアイドルです。デカい犬であればなおさらね。

そういうわけで、この記事の教訓はひとつだけ。

デカい犬は、いい。

よきドッグ・ライフを。

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