私の周りの偏愛者 VOL.1 果物を偏愛する男
果物を「まるごと」愛する男。
贅沢に盛り付けられた、色鮮やかな果物。普通ならそれが目の前に運ばれてくると「わあ!」と歓声があがるところだが、大学生のH君はこう言う。
「カットしてあるそれに、興味がなくて」
H君は果物マニアとして、そこそこ有名人である大学生だ(この春から新社会人なので、「大学生」は当時の話)。「一日中、果物のことを考えている」と話すH君の果物愛は、友人たちから「果物好きだよね〜」と言われる程度の自分と比べると、もはや違う世界線にある。
H君が愛を注ぐ果物は「まるごと」でなくてはならない。
「果物は、ひとつで三度美味しいんですよ! 例えばリンゴの感触。触るとプラスチックでは再現できない独特のスベスベした質感が、品種によっても少しずつ違うのがわかる。さらに、形、色、香り。しかも、食べられる! 植物としての果実にまず興味があり、味はあくまで構成要素のひとつでしかない。だから、まるごとなのが大事なんです」
手触り、ビジュアル、香り、味で4度じゃないか? と思いつつ、偏愛者特有のバイブスが心地よく、口をはさまず永遠に聞いていたくなる果物トークである。口をはさむ隙がないのは、少し前で言うところの「オタク特有の早口&マシンガントーク」でもあるのだが、偏愛の対象がユニークかつ人柄が魅力的であるので、聞いていて、ただただ気持ちがいい。どうかしているエピソードに爆笑することもしょっちゅうで、私にとって偏愛者との交流は至福のひとときだ。
イラストや絵画ではメジャーなのに! と嘆く男。
「私は企画展や美術館を観に行くのも好きなんですけど、そういう美術作品って触れないじゃないですか。でも、果物は触れる、香りもある、おまけに味わえる。最高! 美術で言うと果物は、絵画のモチーフとしてもポピュラーですよね。スーパーでも必ず売っている食材です。なんで皆、そこからもっと興味を持たないのか、逆に不思議で。だから私は果物の面白さを、もっと発信していきたいんですよね」
後日LINEグループで日々の雑談をする周りの友人らへ「果物をどう思うか」と直球で尋ねてみると、こんな感じであった。
「果汁顔ってわけわからん表現あったよな」「静物の代表」「手に入りやすく長時間動かないが華やかなので便利」「古典的、無難、おもしろくするのが難しいモチーフ、という印象かなあ。雑貨アイテムだとファンシーになっちゃって、やっぱりおもしろくなりづらい」「文学だとエロいものを匂わせるモチーフに使うよな」「ちんちんぼるとみたいな名前の……」「アルチンボルド※だ。ちんちんぼるとって刻まれちゃうからやめて」
※植物や生き物を組み合わせる「寄せ絵」で知られるイタリア出身の画家。果物や野菜で構成された奇妙な肖像画が有名。
会話に美大出身の友人が混ざっているので話の方向が製作物方面に偏りがあるのはともかく、H君に怒られそうな方向にどんどん転がっていくので以下割愛……。と、雑談の方向はさておき、日常的な存在であるがゆえ、面白要素を加えないと話題として盛り上がりにくいってことですね。
H君も言うように、果物は、日常に溢れている。珍しい品種などは数あれど、そこに強い興味を持つほうが珍しいだろう。果物の面白さよりも、H君自身のおもしろさが発信されているように思えた。「朝の果物は金」「ビタミン補給」「皿の彩りに」「最近はやたら高い」 それくらいの意識でしか果物を見ていない自分とは、向き合い方がまるで違う。
私自身は異国の食材や料理が大好きで、そうした趣味のつながりから、周りにはさまざまな「偏愛の人」がいる。ジャンルは多岐にわたり、サメ、昆虫、イカ、廃墟、ストリップ、パンダ、ちくわぶ、スナック等々……。自分の価値観と独特な感性で対象に向き合う偏愛者たちは皆、とても魅力的だ。ここではそんな人たちとの出会いや、交流の記録などを書いていこうと思う。
旬の果物で、親子喧嘩が起こるワケ。
魅力的ではあるが、その独特さは時に周囲を困らせる。H君は中学生時代、よく親子喧嘩をした。
「あーんーたーはー!! なんで、食べもしない果物をこんなに買うの!!」
まだ見ぬ品種を手にしてみたいという情熱から、お小遣いをつぎ込み、ネット通販で果物を買いまくっていたという。しかも観察がメインで欲望が食に向かないので、一応データのために数口は食べるものの、キロ単位で手に入れた果物を、食べきれるわけもない。
親が不在の時間を狙って時間指定で宅配を受け取ったり、コンビニ受け取りにしたりなどの工夫をしていたというが、思春期に親バレしたくないものが、エロ本ではなく大量の果物というのが、さらに親御さんを困惑させそうである。しかもそうやって受け取っても、日本の住宅のひとつ屋根の下で大量の果物を隠し通すことは不可能だし。
「あんたは一体、何を目指してるの!」
ケンカの最中そう聞かれても「えー、果物に関わる人」と即答するH君。「どうしてこうなった?」と突っ込みたくなるが、H君の話では「物心ついたときから、オモチャでなく果物で遊んでいた」というのだから、親としても納得オブ納得だろう。ぐぬぬ……と黙らざるを得ない、親御さんサイドに深く共感してしまう。
H君が記憶している、一番古い記憶は「果物箱に入っている自分」。「オレンジとナシのビジョンをぼんやり覚えていて……果物にハマったのは、あれがきっかけじゃないのか」。そう振り返っていた。
積み木を積み上げるがごとく、カゴに果物をあしらってご満悦の赤子。赤子というものは一時期、大人には理解できないものに執着することが少なくないが、そこから途切れず成長したH君。初期のそれが既に偏愛の芽だったとすると、覚醒早すぎだわー。曹丕(そうひ)※の生まれ変わりじゃなかろうかー。ちなみに、親御さんが果物に関係する職業というわけでもないそうだから、謎深い。
※三国時代・魏の初代皇帝。大の果物好きであるエピソードが知られている。
そうして当然&必然により、大学は農学部へ進学。研究の道へは進まず、まずは消費の現場だと、この春からは果物の輸入・販売を行う超有名会社へ就職した。就職活動も「他の職種など考えられぬ」と1社のみ受け、見事採用された。偏愛力で我が道を作る、ロード・オブ・ザ・フルーツや。マジで、眩しいぜ。
私がH君と出会ったのは、友人宅での集まりだった。とある行事のテーマに果物が必要で、誰もが信頼をするその手腕で調達してくれたのだ(大分季節外れの種類もあったのに)。私は気まぐれに参加したので、何が行われるのか事前に把握しておらず、友人宅のリビング机上に積み上げられた果物の山を見て唖然となった。
H君は皆が「すごい!」と騒いでいるのには我関せずで、小ぶりな柑橘類をひとつ食べ「コレはマジで飛ぶ!」と力説していた。おや、そんなにヤバいブツなのか……うひひ……とウキウキで口にしてみると、拍子抜けしてしまった。確かにとても美味しいが、「飛ぶ」とまでの感覚が、正直わからなかったのだ。しかしH君は20代の大学生。こちとら子育てと仕事に疲れ果てた40代。コンディションも味蕾の数も、全然違うだろう。
若者に共感できなくなった自分への失望をひしひしと感じて肩を落としたが、その後深夜まで続く変態じみた果物談義に、ああこの人は偏愛偏差値エベレストなんだと理解した。同じ世界を見れなくて当たり前。別の世界線から偏愛の輝きを眩しく楽しませてもらおうじゃありませんか。
愛するリンゴ……だが、モチーフは愛でない理由。
H君曰く、果物の中でも特にリンゴを愛しているという。以前も「おみやげに」とひとつ、真っ赤なリンゴをくれたことがある。あらやだ、お高そう。
「わーきれいー、ツヤツヤー」
頭の悪さ&ボキャブラリーの貧困さを丸出しにした感想を口にしても、「コレ、天然のワックスですよ! ホントすごいですよね〜!」とニコニコ嬉しそうにしている。頂戴したリンゴはビジュアルだけでなく、味も衝撃的だった。近所のスーパーでお手頃価格で並んでいるものとは、別次元。香りが濃厚で、酸味と甘みのバランスが絶妙すぎる。こんなものを子どもに食べさせたら、安いリンゴを食べてくれなくなるじゃないか! けしからん、実にけしからん! と、子どもが学校から帰って来る前に、ひとりで全部たいらげた。
好きなもののモチーフを身につける、というのもよくある楽しみ方だが、それへのスタンスもH君のガチ勢っぷりが現われている。リンゴの話からうっかり「アップル製品に親しみを感じたり、リンゴ柄のものを身につけたりするのか」という愚問を投げたことがあるが、「別に私自身が果物になりたいわけじゃない」と冷たく言われてしまった。「モチーフを買うくらいなら、本物を買う」。納得です。
以前H君がメディア出演した際も、「何かリンゴモチーフのものを持ってきてくださいよ」とリクエストされたことがあったという(一般には非常によくあるリクエストだ)。そこでH君が収録現場へ持って行ったのは「リンゴの品種が掲載されている専門書」。製作スタッフの「あー」という顔も目に浮かぶ。
「だって、リンゴといえばコレでしょう!」
いいぞ、もっとやれ。でも放映には、その本は映らなかったそうだ。
H君は取り寄せた果物を消費するために、度々食べ比べイベントを開催していた(就職のため、現在はいったん終了)。するとそうした集まりには、「自分も果物大好きです!」と、果物モチーフを身につけている人もたくさん参加する。H君はそれを見て「自分とは違う」と、大きな違和感を覚えるのだとか。他人の楽しみ方は決して否定しないものの、自分にはわからない感覚なのだと話す。
北海道へ旅行した際も、有名な観光施設は素通りし、お目当ての農園へ行きそこからまっすぐ帰ってきたという。「せっかく北海道まで行ったのに!」と笑う私に「いや、よっぽど時間があるときは行きますよ……」と少し困った顔をしていた。よっぽどじゃないと、行かないのか。
度々、そうした違和感を覚えるからだろうか。「たまに、一日中果物のことを考えていないような、普通の人になりたいときもある」という。しかし凡人サイドとしては、社会の中で偏愛が織りなす快進撃を、ぜひ見せてほしい。新たに仕事として関わっていく中で色々と変わっていくこともあるだろうけど、果物に対する偏愛級のまなざしはとても魅力的なので、いつまでも変わらず……いや、ますますパワーアップされていきますように。中年の身勝手な願いではありますが。
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