「サイコパス役マニア」の私が絶賛するアイドルが演じたサイコパス映像作品
目次
私はドラマや映画に登場する悪役、サイコパス役が大好きな人間です。「サイコパス役だいすきクラブ」という団体(所属人数1名)を立ち上げ、会長を務めるなど、精力的に活動をしています。
なかでも特に私が興奮を感じるのがアイドルが演じる悪役、サイコパス役。普段は圧倒的なヒーロー、ヒロインとしてその輝きでファンを狂わせ続けているアイドルが真逆の立ち位置でその力を発揮したとき、震え上がるほどの魅力が生まれるのです。
今回は、私が愛したアイドルが演じた悪役、サイコパス役を紹介したいと思います。少しでもその魅力が伝われば幸いです。
菊池風磨(ギバーテイカー)
喜志ルオト。「幸せは奪い取るもの」という異常な考えを持ち、12歳で教師・樹(中谷美紀)の娘を殺した通称・殺人騎士。医療少年院を出てからも樹に執着を見せ、樹の大切な人間を奪おうと犯行を繰り返す。
悪役、サイコパス役の演技は、ことエンタメに限っては「やりすぎ」なくらい「やりすぎ」なほうがいいのですが、菊池風磨はそれを完全に理解し、ある意味「楽しんで」この喜志ルオトという役を演じることで、夢に見たサイコパスを詰め込んだようなキャラクター性に、菊池風磨の色気が絡み合い、一癖も二癖もある唯一無二の「味」となっていました。
特に、ルオトが務めているパン屋の娘を洗脳し、店長を殺させようとするシーンで、
ルオト「うん…悪くない…」
と下卑た笑みを浮かべながら自らトドメを刺すシーンは、普段ステージやバラエティで見せる菊池風磨の顔とは全くの「別物」。これぞ「アイドルが悪役をやる意味」が凝縮された最高のシーンで、私は白目を剥きながら気絶しそうになりました。
山田涼介(グラスホッパー)
蝉。裏社会で生きる若き殺し屋。人間離れした身体能力とナイフ捌きで、一回りも二回りもデカい男たちを絶命させていく。
ダンスで培った山田涼介の華麗な身のこなしはまさに「殺し屋役を演じるために生まれてきた」と言っても過言ではありません。
冷酷なだけでなく、上司・岩西を殺され対峙することになる鯨(浅野忠信)の洗脳を解くために自らの耳を切り落とすなど、ただでは死なない悪役としての根性を見せるなど最初から最後まで魅力たっぷりのトッポのような役でした。
特に印象に残ったシーンが「いつもなに考えながら殺るんだ?」と問われた時の回答です。
「なんも考えちゃいねぇよ。仕事だから殺る、それだけだ。どいつもこいつも殺されるってことの意味がわかってねぇ。シジミは泡を吐くんだ。人間もシジミみたいに呼吸をすんのが泡でわかりゃいいのにな…。そうすりゃ、殺す方も殺される方も、生きてる意味ってのがもっと分かるかもな…」
まったく意味が分からない。言ってることの意味の分からなさ=悪役としての魅力なのです。
風間俊介(それでも、生きてゆく)
三崎文哉。幼児に対して異常な執着を見せ、学生時代に親友・深見洋貴(永山瑛太)の妹をその手にかけ、少年院を出所してからも殺人未遂を繰り返す。
特に衝撃的だったシーンが終盤。彼を理解したいと洋貴は10分以上にも及ぶ心からのメッセージを投げかけます。しかし、文哉の心には0.1ミリも届かず
「ごはんまだかな」
とテメェの空腹を心配するヤバさ。アイドルの悪役好きを自称している私ですらさすがにこのシーンは、あまりのサイコっぷりに見ている自分の目と耳をちぎりたくなりました。
風間俊介という俳優の魅力とは「ギャップ」だと私は考えています。芸能界屈指の飛行機、ディズニー好きとして高い好感度を誇る風間俊介さんですが、アイドル界において彼以上に「犯罪者役」を演じている人間はいないでしょう。本人曰く「前科27犯」の圧倒的再犯率を誇り、たびたび世間を恐怖のドン底に叩き落としています。
冒頭でも述べましたが、好きなものをキラキラとした目で語る「光の風間俊介」が濃くなればなるほどに、悪役の顔で見せる「闇の風間俊介」が色濃くクッキリと浮かび上がってくるのです。最新作の映画『先生の白い嘘』でも、キャラクター紹介をしようとすれば「全文字コンプライアンス違反」と言わんばかりの衝撃的な役を演じているので、精神が健康な方はぜひその目で目撃していただきたい。
髙橋優斗(ポイズンドーター・ホーリーマザー)
黒田正幸。幼い頃に主人公・幸奈(清原果耶)が住むアパートの上の階に住んでおり、まるで姉弟のような関係を築いていた。気の弱い自己主張に乏しい少年だったのだが、大人になり幸奈と再会した直後に無差別殺傷事件を起こしてしまう。
当時、髙橋優斗には演技経験はほとんど無かったのだが、その「何色にも染まってない純粋さ」が逆に恐ろしく、黒田正幸という人間の心の闇を「そのまま」表現していたのです。
事件直後のいっさい瞳に光の入っていない、なにを考えているか分からない顔からの、幸奈のことを弁護士から訊かれた時の狂気に満ちた顔への「表情の変化」は鳥肌が立つほど素晴らしく、なぜ正幸がこんな事件を起こしてしまったのか、いったい誰が悪いのか、物語の持つ複雑性をより濃くしていました。
特にラストの「その女、会ったら言っといて。死ねって。な、な、な」というセリフはアイドルサイコパス史の歴史に残る衝撃的なシーンでした。
西野七瀬(あなたの番です)
黒島沙和。高層マンションで起こった謎の連続殺人事件。そのほぼ全ての犯行を行っていた。幼き頃から殺人衝動を抑えきれず、理由もなく数々の人間を葬り去ってきた正真正銘のサイコパス。
最後まで「誰が犯人か」が一番のポイントになる作品において「最も意外な人物が犯人」というのは王道ですが、一歩間違えればそれまでの全てを壊しかねない危険性もあります。
当時のインタビューではドラマ撮影前に自身が黒幕であることを明かされていたらしく、その上で表と裏の顔の両面を演じ分け、視聴者にギリギリまで確信を持たせない絶妙な役作りは「見事」という他ありませんでした。
今では女優としてなんの違和感もなく多くの作品に出演している西野七瀬を作ったのはこの作品からと言ってもいいでしょう。私も仮に誰かに殺されるのであれば、断然黒島ちゃんに殺されたい。
(注:撮影時点では、すでにグループを卒業しています。)
ジェシー(新空港占拠)
新見大河。空港を占拠するテロリスト集団「獣」の一人・鼠にして、己の復讐のためだけに暴走する危険因子。
SixTONESの中でも、いやアイドル界においても屈指の陽キャぶりを見せつけているジェシーとのギャップはあまりにも激しく、
「生温いな…解放しないでその場で殺せばいい…それこそが本当の裁きだ」
「それだけじゃ意味がない…この国を牛耳ってる奴等を…まとめてぶっ殺す…本当の裁きだ…」
「世間に褒められたいのか?俺はけだものになる…この世界に血の雨を降らせてやる…」
など、悪役参考書の序盤に載っているであろう狂気のセリフをなんの躊躇もなく連発し、私に衝撃と興奮を与えました。ぜひ、SixTONESの楽曲『PARTY PEOPLE』と交互に見ていただきたい。
川栄李奈(デスノート Light up the NEW world)
青井さくら。どこにでもいる普通の女子高生。名前を書かれた人間が死亡する「デスノート」を拾い、渋谷のスクランブル交差点で無差別殺人を行う。
寿命を半分にする代わりに見た人間の名前を知ることができる「死神の目」もなんの躊躇もなく契約しているなど完全に「自分の快楽」のためだけにノートを使う人間です。
夜神月ら稀代の天才同士が頭脳戦を繰り広げる世界において、「ただの女子」というのは、ある意味で完全な異物。無邪気な笑顔で通りすがりの名前をノートに書き込む姿は恐怖という他ありませんでした。この映画で一番のインパクトを残したと言っても過言ではないでしょう。
当時のインタビューでも「普通の女の子がデスノートを拾って、好奇心で名前を書いて殺しちゃう感じと言われたので、役を作り込むようなことはせず、デスノートを手にした時のわくわく感をそのままお芝居にしました」と語っていたように川栄李奈の凄さは自然さだと私は思っています。作り込むようなことはせず、と簡単に言ってもそれを実際にできる役者は多くはありません。
普通の役であればあるほど、逆にどうしても「演じている」感が出てしまうものです。しかし、川栄李奈はそれを当たり前のようにやってのける。この作品でも「もしバカな子供がデスノートを拾ったら?」を体現する完璧な演技を見せていました。
(注:撮影時点では、すでにグループを卒業しています。)
森田剛(ヒメアノ~ル)
森田正一。主人公・岡田(濱田岳)の同級生で、岡田の彼女であるユカ(佐津川愛美)に執着し、ストーカー行為を繰り返すようになる。暴行、放火、銃撃、メッタ刺し、ひき逃げ。自らの存在を誇示するかのようにあらゆる犯罪に手を染める殺人鬼。
『ランチの女王』『前科者』『インフォーマ』など、ただのチンピラから、陰のある元受刑者、得体の知れない殺し屋まで幅広いタイプの悪役を演じてきた森田剛ですが、『ヒメアノ~ル』の森田は異質中の異質。
口調こそ穏やかですが、人間があるべき心のブレーキが完全に壊れており、森田剛の演技によって森田正一の異常な行動を「日常」として溶け込ませてしまいます。この映画を見たあと私は三日三晩眠れなくなり、色んな意味で俺をどこかに連れて行ってくれ…Take me, take me higherしてくれ…とつぶやいてしまいました。
稲垣吾郎(十三人の刺客)
明石藩主松平斉昭。江戸時代末期の将軍の弟。己の権力を傘に暴虐非道の限りを尽くす最悪の男。
たまたま目に入った家臣の妻を襲う、その家臣を「山猿の骨は硬いのぉ」などと言いながら妻の前で切り刻む、など絶対に地上波では放送できない描写を表情ひとつ変えずに行うその精神性。いざ、自分が殺されそうになると
「怖い…死ぬのが怖い…」
と地面をのたうち回り逃げ惑う。悪としての美学などいっさいない、正真正銘の畜生。世の中にあるゲロというゲロを煮詰めてできたゲロの原液。「吾郎ちゃん」と呼ばれ、国民的スターとしての顔はそこには1ミリもありません。彼の持つ上品さが逆に斉昭のおぞましさを増幅させていました。こんなやつ1秒たりとも守りたくない逆・らいおんハート。思い出すだけで震えが止まりません。
木村拓哉(古畑任三郎)
林功夫。「ある理由」で遊園地の観覧車に爆弾を仕掛ける電子工学部研究助手。
若く才能があるがゆえに自分以外の大人を舐めきった気だるげな態度を取り、己の能力を過信し疑わないその傲慢さ、そんな「ダサい若者」を、当時の若者の代表格だった圧倒的なカッコよさを持つ木村拓哉が演じる。そのミスマッチが完璧に「フリ」になっている。
「時計台が見えなくなったから観覧車を爆破しようとした」という屈指の動機のしょうもなさに加え、作中で古畑が唯一「手を出した犯人」として、古畑ファンの間でもいまだ「神回」として語り草になっています。
中居正広(模倣犯)
網川浩一(ピース)。自分が行う殺人を「舞台」、被害者は自分が作り出した舞台の「女優」と称し、自分の頭脳で他人の人生を手のひらで転がせると思っている狂気の男。
そこにいるのにまるで「温度」を感じないその「得体の知れなさ」最後の最後まで本心が見えず、映画を見終わったあとの空虚さは他の作品では味わうことのできない中毒性がありました。ラストの「首爆発CG」は邦画史に残る伝説のワンシーンとして記憶に残り続けています。
そんなピースのキャラクターは中居くんの持つ良い意味での「掴めなさ」と完璧にマッチしていました。特に、他人を見るときの「瞳」。バラエティ番組などで中居くんが「ネタ」として氷のような冷たい目で共演者などを見るくだりがありますが、それが「演技」として活かされた時、こんなにも恐怖を感じるのかと、失禁するほど震え上がりました。
世間的に役者のイメージはあまりない中居くんですが、この『模倣犯』や『私は貝になりたい』などでの怪演を見るたびに、もっと「役者・中居正広」を味わわせてくれ…と願わずにはいられません。
さて、私が考える「良いサイコパス役の条件」に「3ない」という要素があります。
容赦ない…いかに人を人と思わないか、残虐なことをなんでもないような顔でできるか、時には自分すら顧みず目的のために行動できるか。ここで重要なのは「しでかしたことの大きさ」ではなく、やったことに対しての「罪の意識のなさ」。嘘も盗みも裏切りも殺しも「呼吸」と同義であれば最高です。
語らない…サイコパスに一番大切なのは「潔さ」。なぜこうなってしまった、なぜこんなことを、とか動機マジでどうでもいい。そのバックボーンがカラッポであればあるほどたぎります。
わからない…物語の最後の最後までその人物のことが一切わからないことこそサイコパスの真骨頂。「一見優しそう」とかギャップがあればなお良し。そもそもサイコパスのことをわたしたちが理解しようなどと考えてはいけません。サイコパスの言動に対して「なぜ」と疑問を持つのはやめましょう。
この「3ない」の要素ですが、「アイドル」という職業とまるで「真逆」なことにお気づきでしょうか。他人が見せたいものを見せ、希望を与える。誰かにとっての光。
だからこそ、アイドルという光が輝けば輝くほど、悪役、サイコパス役という闇はより深くなる。私はそのギャップに狂わされ、興奮するのです。
その魅力、魔力にあなたも触れてみてはいかがでしょうか。
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