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人生に必要なことは全部銀英伝に学んだ

フミコフミオ
偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「人生に必要なことは全部銀英伝に学んだ」。フミコフミオさんが書かれたこの記事では、銀河英雄伝説への偏愛を語っていただきました!

『銀河英雄伝説』は現役バリバリのコンテンツ。

田中芳樹先生が執筆された『銀河英雄伝説』(以下、銀英伝)をご存じだろうか。ご存じでない奇特な方のために簡単に概要を説明すると、もともとは1980年代に発表されたスペースオペラ小説で、1980年代から2000年代にかけて、映画やOVAやゲーム、パチンコ等メディア展開された超名作である。

物語の内容は【宇宙を二分する「銀河帝国」と「自由惑星同盟」、そこに割って入ろうとする「フェザーン自治領」の興亡史であり、二人の主人公「常勝の天才」ラインハルト・フォン・ローエングラム(銀河帝国)と「不敗の魔術師」ヤン・ウェンリー(自由惑星同盟)を中心に魅力あふれる多くの登場人物がそれを彩る一大叙事詩】になるだろうか。「銀英伝」に触れたことがなくても「常勝の天才」「不敗の魔術師」という言葉は耳にした方もいるのではないだろうか。

いや、こんな陳腐な概要では「銀英伝」の魅力は一ミリも伝えられていない。とにかく、めちゃくちゃ面白い作品なのである。面白いだけではない。勉強になる。大げさではなく、「人生について」考えさせられるものであり、教科書が教えてくれない「人間とは何か」を教えてくれるテキストであり、見せ場が数多くあるエンタメ作品だ。僕は「銀英伝」から、人生で必要なことのほとんどを学んだと自負している。優れたエンタメ作品に触れると、「銀英伝」と比較することもあった。会社で上司にムカついたときは、夜の従業員用トイレの鏡に向かって「くたばれ皇帝(カイザー)」とつぶやいた。これはヤン艦隊の口ぐせだけどね。

80年代に原作小説、90年代にオリジナルアニメと劇場版が発表されるなどして大ブームを巻き起こした「銀英伝」。ネットを検索すれば原作や旧アニメを愛した猛者たちが熱く語っているのを発見できるけれども、原作や最初のアニメが発表されてから30年以上も経過した作品であることもこれまた事実である。

ところが、なんと数年前(2018年)から原作の再アニメ化『銀河英雄伝説 Die Neue These』がスタート。これが旧アニメに負けず劣らずまた面白いのである。さらに2024年10月からは新作スマホゲーム『銀河英雄伝説 Die Neue Saga(ノイサガ)』がリリース!まだ遊んでいないけれども、きっと名作に違いない。きっと、銀河帝国か自由惑星同盟の提督のひとりとなって、ラインハルトやヤンの麾下で活躍するゲームなのだろう。きっとそうだ。

なんということでしょう。2024年、「銀英伝」が最新のエンタメとしてカムバックしているではありませんか。今こそ、「銀英伝」の素晴らしさを語る絶好のときではないか。というのが長すぎる前置きなのである。

銀英伝との出会いは上下二段組で文字がぎちぎちに詰め込まれたノベルズ版だった。

断言しよう。田中芳樹先生が書かれた「銀英伝」を知らない人は人生において大きな損をしている。なぜなら、人生に必要なことのすべては「銀英伝」から得られるからである。実際、僕は「銀英伝」からすべてを学んだ。「銀英伝」は、学校や教科書が教えてくれない、人間の業や人生の空しさ、浪漫といったものを与えてくれた。

大袈裟ではない。僕は「銀英伝」を夏休みの課題図書にすべき、さらに、「銀英伝」を学校のカリキュラムに入れるべきだと本気で考えている。たとえば、大学では社会に出ると直面する、アホな人間や、人間のアホな行為、アホアホがしょうもない理由で行われることを、あらかじめ「銀英伝」で学んでいなかったら、僕はハラスメントな労働環境(90年代でしたので……)で、心身を壊し、こうして世間様に向かって駄文を垂れ流せなかっただろう。

そんな僕と「銀英伝」との出会いは、小学生時代にさかのぼる。原作小説がトクマノベルズで書き下ろし発表されていた頃だ。第五巻が書店の新刊コーナーに平積みされていて、加藤直之先生の無骨なイラストがたまたま目に留まったのだ。なんか当時好きだったサンライズのロボットものとは違う渋めの絵に導かれてしまったのだ。

手に取ってビックリ。1ページを上下二段に分けてびっしり小さな文字で埋められていたからだ。漢字も多い。小説を読み始めたばかりの頃だったので、世の中にはヤバい本があると仰天したのだった。その日、第一巻を買って帰った。面白くて何日かかけて読破した。

先が気になって両親に頼んで刊行されていた五巻まで買ってもらって一気に読んだ。当時ノベルズは書き下ろしで、半年に一冊のペースで発表されていた。半年ごとに発表される新作が待ちきれなかった。どの巻も見どころがあってわくわくした。第五巻以降の自由惑星同盟がああなってしまうのには衝撃を受けたし、第八巻の「魔術師還らず」のエピソードを読み終えたときには「嘘……」と放心した。「魔術師還らず」は、僕がこれまでの人生で創作物から受けた衝撃の大きさトップ5に入る。

原作は十巻で完結。記憶が正しければ僕が中学2年生の秋。しばらくするとアニメ(OVA)が制作された。これがまた見事に原作の世界観が映像化されている名作であった。ちなみに声優陣がアニメ史上最強に豪華。作中の艦戦シーンでクラシック音楽が流れるのだけれども、銀英伝以降、戦闘シーンにクラシック音楽が流れないと何か物足りない気分になるという副作用が出ている。

ボンクラ小学生にとって銀英伝の何がすごかったのか。

まず、「主人公が二人」というのが斬新だった。それもバディ関係ではなく、対立している勢力のキーパーソンとして、同時にライバルとして主人公が二人いるというのが新鮮でならなかった。大人の小説とは、こんな構成をしているのかと驚いたものだ。

ところが今日まで、銀英伝のように主人公二人が対立し、かつ、お互いをリスペクトしていて、なおかつ魅力的で、そして面白い作品は稀有である。主人公二人が対立している作品は、たとえば「ガンダムSEED」のキラとアスランのように、直接対決、対決を乗り越えたあとに共闘するという展開で、物語を盛り上げようとするけれども、「銀英伝」の二人の主人公、ラインハルトとヤンは直接会って会話をするのは……あれ?もしかしたら中盤の超クライマックス「バーミリオン会戦」終了後の会談の一回のみ、かもしれない。

また、銀河帝国と自由惑星同盟が、会戦で激突するときのスケールの大きさに驚いた。数万隻の艦隊同士が戦い、会戦後は数百万人の犠牲者が出るのだ。銀英伝と同じ位好きな機動戦士ガンダムと比べると、ガンダムがせいぜい地球と月、木星位までが舞台で、艦隊戦が数十隻レベルなので、そのスケールの大きさに度肝を抜かれたのである。

登場人物が異常に多いから面白い。そしておバカさんも多い。

「銀英伝」は登場人物が多い。最近文庫版が発売されてベストセラーになった「百年の孤独」が登場人物の多さで話題になったけれども、「銀英伝」はさらに多い。

「百年の孤独」が同じ名前、似たような名前(アウレリャノ…)が多いのに対し、「銀英伝」は、末端の役に至るまでしっかり異なる名前がつけられている。「登場人物が多い」というと、それだけで「ちょっと……」とアレルギーを感じる人は多いかもしれない。ところが安心。「銀英伝」は、登場人物は多いが原作小説はめちゃくちゃ読みやすいし、アニメ版もキャラクターの多さで話が混乱することも皆無である。

楽しむコツがある。推しのキャラを作るのだ。一人でなくてもいい。何人か推しをつくる。「銀英伝」には多種多様なキャラクターが登場するので推しを見つけることは容易い。そして推しを中心に楽しむこと。それだけでいい。たくさんの登場人物が出てくるが、推し以外は無視でオッケー。いけすかないキャラやむかつくキャラはあっさりと物語から退場していくので気にしないでもまったく問題ない。たとえば、自由惑星同盟のパエッタ中将(ザコ)がどうなったのか気にしなくてよい。僕の体感では名前のあるキャラクターの約3割は記憶に留めなくてもよい。登場人物が多いため、推しを変えて繰り返し楽しめるのが「銀英伝」である。

田中芳樹先生は「ムカつくキャラクター」「イキっているキャラクター」「どうでもいいキャラクター」には、勧善懲悪的に酷い結末を与えているのでそれも見どころ。作中で「無能」と評価されているキャラクターが調子に乗っていると、「酷い結末が待っているのだろうなあ……」と盛り上がってきて、そのとおりのオチになるのでスッキリする。同様に「有能なキャラクター」「実直なキャラクター」「主人公及び主人公を支えるキャラクターたち」には、愛のある描写をしており、中には志半ばで倒れるものもいるけれども、亡くなり方もカッコいい見せ場をつくってくれるのである。

「銀英伝」に登場するキャラクターは、軍人であれ、官僚であれ、高い位にあるエリートである。銀英伝には馬鹿がたくさん登場する。それは、無能な人物であってもやり方によってはある程度立身できることを意味している。僕は、「銀英伝」に登場する無能なキャラクターのような人物が実際に存在すること、ましてや組織の上において(トップではないにせよ)そこそこな地位・立場についているのを見て、「これはいくらなんでもフィクションだろう」とゲラゲラ笑っていた。

しかし、実際に自分が社会人になったとき、無能な人物が高い地位にいて、かつ、傲慢な態度を見せていて、「銀英伝に書かれていることは、本当なんだ」と感動したものだ。無能な人がどういう行動原理から組織で立ち回るのか、あらかじめ銀英伝で学んでいた僕は、心身のダメージを最小限に抑えられたのである。ありがとう「銀英伝」。田中先生。「銀英伝」みたいに無能が全員わりと悲惨な結末を迎えることはなかったけれどね。


タイミングの良いところで発生する〇〇イベント

「銀英伝」は長い。そしてたくさんのキャラクターが登場する。政治劇や宮廷劇が続くと正直ダレる。物語がダレてきたときに、発生するイベントがある。頻度としては初期ノベルズ版で一巻あたり1回か2回。そのイベントとは「会戦」である。

銀河帝国と自由惑星同盟(同盟崩壊後はヤン艦隊)が、大艦隊同士で対峙する会戦が発生する。主な会戦は、戦略的な意義やそこで見られる戦術が異なり、テンションが上がる。特に旧アニメではクラシック音楽が会戦シーンを盛り上げていた。

会戦は、銀河帝国、ラインハルト陣営の圧倒的な戦力と才能あふれる提督たち、それに奇策をもって対抗するヤン艦隊の戦いぶりが見どころになる。はっきりいってヤン・ウェンリーの能力はチートである。質・量ともに圧倒的なラインハルト陣営をことごとく打ち破っていく姿は、今流行りの転生チート系の物語の元祖のようにも思えるくらいだ。「銀英伝」はヤンのチートぶりを楽しむのがいちばん分かりやすい楽しみかたといえる。僕もそうでした。

新・三大銀英伝「推しキャラクター」

①門閥貴族連合 フレーゲル男爵

物語序盤、銀河帝国の旧勢力門閥貴族連合とラインハルト陣営との間で内戦が勃発するのだけれども、そのとき門閥貴族連合の盟主ブラインシュバイク公(無能/アホ)の甥として登場。生まれながらの貴族で選民思想が強く、そのうえ、自己陶酔が激しく、周りに迷惑をかけまくりのアホ貴族。その味わい深い言動は各自、原作小説かアニメで確認していただきたい。迷惑なアホぶりで門閥貴族連合の壊滅的敗北を招いたうえ、敗勢が決定的になったあとも自らが乗艦する戦艦で相手に一騎打ちを挑もうとし、さらには周囲を巻き込んで道連れにしようとしたところ、愛想をつかした部下たちに射殺されるという田中芳樹先生のアホにはアホの結末を体現した味わい深いキャラクターである。ムカつくけど憎めない面もあるので推し候補にいかがだろうか。

②シュタインメッツ提督(カール・ロベルト・シュタインメッツ)

ラインハルト陣営の幕僚のなかで、もっとも地味な男。物語中、原作やアニメにおいても描写や活躍シーンがほぼないながらも、なぜか主要提督たちと同じ階級(中将、大将、死後元帥)にいた謎の男である。印象的なシーンがまったくないから記憶に残らない。数年おきに到来する「銀英伝」ブームのたびに、「今回はシュタインメッツに注目して物語を追ってみよう」と決意するのだが、いつのまにか登場して去っていく、とにかく地味オブ地味なキャラクター。アニメ版でもキャラデザがモブっぽくて何とも地味。僕はもうシュタインメッツさんを追うのは諦めました。これから「銀英伝」に入ろうとする人にはシュタインメッツの謎を解明してもらいたいものである。

③アイゼナッハの副官

ラインハルト陣営の提督「沈黙提督」の異名をもつアイゼナッハ(エルンスト・フォン・アイゼナッハ)の副官。アイゼナッハ提督は「沈黙提督」といわれるだけあり、ほとんど話をしないキャラクターである。それゆえ原作小説において台詞はほぼなしという、小説というメディアに挑戦したキャラクターともいえる。そんな沈黙さん、艦隊を指揮するときも無口。ジェスチャーや指を鳴らすなどして指示を出すわけだが、それを解読して艦隊に指示を出す副官さんが優秀すぎて、目を離せなくなる。つか、副官が本体なのでは? と思えてくるから不思議である。沈黙提督という変人の副官に注目してもらいたい。

主人公二人以外で僕が好きなのは、メルカッツ(ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ)やシェーンコップ(ワルター・フォン・シェーンコップ)かな…亡命するキャラクターばかりだ。現実逃避したい願望のあらわれだろうか。余談だが、ウチの奥様の推しキャラクターはハンス・エドアルド・ベルゲングリューン(地味なので調べてみてください)。

「銀英伝」になぜハマったのか、から「銀英伝」の僕なりの楽しみ方についてねちねちと語ってきた。繰り返すが、新訳アニメ『銀河英雄伝説 Die Neue These』が制作されて、スマホゲーム『銀河英雄伝説 Die Neue Saga(ノイサガ)』のサービスがこの10月にはじまった今こそが「銀英伝」に触れる絶好の機会だ。さあ「銀英伝」を楽しもう。

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