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貝を拾って自分で食うと、なぜかこの世が好きになり、世界は輝きだし、生きている実感が湧く

まくるめ
偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「貝を拾って自分で食うと、なぜかこの世が好きになり、世界は輝きだし、生きている実感が湧く」。まくるめさんが書かれたこの記事では、自分で食料を手に入れることで得られる「生きる実感」への偏愛を語っていただきました!

現代人には生きる実感が必要

みなさん。生きている実感を持っていますか?

「生きている実感」というと大げさに聞こえますが、要するに自分が能動的に世界と関わり、その結果として生を得ているという感覚のことです。こう書くといかにも大げさですが、「私、生きてるなあ」って感覚です。ネットにドはまりしていると足りなくなる成分ともいえますね。

この情報化社会において、ちょっと気を抜くと「生きる実感」というのは足りなくなってしまいます。五感から入ってくる多すぎる情報の波を処理するだけで脳は疲れてしまい、体感が置いてきぼりになり、ややもすると脳と目は疲れているのに体はだらけてバランスを欠いてしまいます。、私などは典型的なそういうタイプです。

これは現代病とも言うべき非常に危険な状態だと思います。そしてその果てには気分の落ち込み、やる気のなさ、無力感、突発的な殺人などの恐ろしい結末が待っているといえましょう。

上記の通り、私も典型的なそういうタイプだとお伝えしました。

しかし私は同時に、危険な状態だという点においてぼちぼちだといえます。

なぜぼちぼちだと言えるのかというと、自分なりに生きる実感を得る方法を知っているからです。それを皆さんにお伝えしようと思います。

生きる実感を得るには

私が考える「生きる実感を得る方法」、それは「自分で食べ物を手に入れ、食うこと」です。こう書くと「そんなことみんなやってるよ、この無職め」と思うかもしれませんが、わたしがここで言っているのは、もっと直接的な方法です。つまりおもに「採集」のことです。

多くの人は普段、仕事でお金を稼ぎ、それで食料を買っていると思います。仕事をすることでお金が得られ、そのお金で食べ物が買えます。考えてみるとなかなか不思議なことではないでしょうか。それは普通のことで資本主義の偉大なしくみといっていいのですが、同時に間にお金という媒介物がはさまっているわけで、つまり「直接的ではない」といえます。

多くの人はそのしくみにうまく適応できているんだと思います。

ただ……ここで個人的な話になりますが、私はどうもこのしくみに脳がついていっていないところがあるんです。というのも、なんかお金に対して脳がうまく反応しないんですよね……。

物書きという仕事でこんなことを言うと罰当たりというか、「何言ってんだ」ってなると思うのですが、まあちょっと我慢してください。わたしはおもに文章関連でお金を稼ぐというか、もらっているわけですが、なんか「文章を書くとお金がもらえる」という仕組みに脳がぜんぜんぴんと来てないんですよね。

仕組みについて簡単に言うと、以下のようになります。

文章を書く → 金 → 食料を買う → 食い物

もちろん理屈としては完全に理解しているはずなんですが。脳の本能的な部分では「文章を書く→食い物」の部分がつながっていないんですよね。つながっていたら、腹が減ったら文章を書きたくなるはずなんですがそうはならない。

それに対して、先ほど述べました「採集」は違います。

採集 → 食い物

はい。非常にシンプルであることがお分かりいただけたでしょうか。こちらのしくみには私の脳はとてもすんなり反応します。

これに初めて気づいたのは、今では私の春の趣味になっている潮干狩りに行った時のことです。貝を掘りながらわたしは気が付きました。

「あれ? 自分でもびっくりするぐらいやる気が出るぞ?」

脳の報酬系の本来の使い方

ぶっちゃけ、潮干狩りは損得で言うとさほどワリには合わないんです。潮干狩りに行く準備の手間とか、交通費とか考えたら、どう考えてもその時間バイトをしていたほうが得なわけです。たぶん同じ時間バイトをしていたらそのぶんのお賃金で十倍の貝が得られると思うんですよ。

でも、やる気の出方は段違いに潮干狩りなんです。時には貝で手を切って手が血まみれなのに、夢中で貝を掘っていたこともあります。それぐらい夢中になれたのです。

それから、いつもとは違う慣れない動きをするものだから当然背中とか腕とかが筋肉痛になったりするわけですが、不思議とふだんよりも頭の中がスッキリするというか、いい気分が何日か持続しました。

そして自分で採取してきた貝も、泥抜きとかけっこう面倒なわけですが、ふだん食べているものよりも格段に美味しく感じたんですね。味だけではなく、「食べている実感」がある。

つまり、前述の通りお金を稼ごうという時にはうまく働かなかった私の脳が、潮干狩りにはやたらうまく適応できたんですね。しっくりきたというか。

なぜそうなのか? これは自分なりに考えた仮説ですが、脳の報酬系というものが関係していると思います。最近では一般にもよく使われるようになった「報酬系」という言葉。専門的な話をする気はないので、ここではざっくり「やる気や意欲に関わる機能」ということで話を進めます。

自分の考えでは、人間の脳のこの報酬系というのは、もともとは野外で食料を集める行動にかなり最適化されているのではないかなと、そんなことを考えたんですね。

現代に近づくにつれてどんどん技術が進歩して便利になっていくわけですが、脳も含めて人間の身体というのはそんなに急に遺伝子が変化するわけでもないので、まだ狩猟採集時代のなごりのしくみがいろいろ残ってるわけです。

報酬系というのは人間の行動の色々な面に関わるわけですが、たまに「本来の使い方」つまり「自分で食料を集める」ことに使ってやらないと、特に自分みたいな人間は報酬系がバグって無気力になるのではないかな。と、そんなことを考えたのでした。

自分で食料を集めるチャレンジとリスク

そんなことを思った私は、自力で食料を集めるということを積極的にやってみることにしました。人に教わったり自分で調べたりしながら、たとえばその辺の草を料理してみたり、前述の潮干狩りのほか、自家栽培にもチャレンジしたりしました。自分は狩猟や釣りは運動神経的にも体力的にもちょっと無理なので、地味なのが中心です。あと、セミとかも食いました。

ただ注意しなければいけないのは、自然は別に人間にやさしいだけではないですから、当然リスクもあります。たとえば野草であれば、食べられる草もあれば当然毒草もあります。下調べのほか、自信がない時は大事をとるということが大切です。

ただ、過剰に恐れるのも困りものであり、正しい理解が必要になります。毒草というのも基本的には少数の例外(ウルシとか)をのぞけば、基本的に食わなきゃ平気です。正しい知識が大事です。

あまり知られていませんが、潮干狩りの貝も、有毒プランクトンによって毒になることがあります。これについては国が調査を行い調査結果を公表していますので、潮干狩りに行く前には必ずチェックします。

自家栽培はそれほど危ないことになることはそうそうないでしょうが、たとえば小児が学校などで栽培したジャガイモのソラニンにあたる事件などは起こっています。油断なりません。

このように、自力で食料を手に入れようとすると面倒が多いし、別にそれで毎日の食卓が賄えるわけではありませんが、前述の通りこれは脳をシャキッとさせるのが目的なので、それでよいとします。

 

まとめ

このように、雑草を食べるなどすると脳がシャキッとするということを述べてまいりました。あと、文明が崩壊したときに生き残る確率も多少高くなります。

そんなわけで、私としてはぜひ読者諸兄に雑草をむさぼり食ってもらったりしてほしいわけですが、同時に本当にリスクには気をつけてください。基本的には詳しい人に教わったほうがいいと思います。

あと余談ですが、アブラゼミは美味しくないですがニイニイゼミは美味しいです。ただ食うところはめちゃ少ないです。

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