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終末SF小説の魅力とおすすめ作品:ベストセラーから定番の名作まで偏愛者が完全ガイド

冬木糸一
偏愛・脳汁を語るサイト「ヲトナ基地」では、多数の「愛しすぎておかしくなるほどの記事」をご紹介してまいります。 ヲトナ基地で今回紹介する記事は「終末SF小説の魅力とおすすめ作品:ベストセラーから定番の名作まで偏愛者が完全ガイド」。冬木糸一さんが書かれたこの記事では、終末SF小説への偏愛を語っていただきました!

こんにちは。

SF/ノンフィクションの書評を活動の中心におくライターの冬木糸一と申します。

「冬木糸一」という名前は「終末」をバラバラにして再構成したペンネームなのですが、名前のもとにしているぐらいなので僕は「終末」、あるいは「ポストアポカリプス」と呼ばれるフィクションのジャンルが大好きです。

そもそも終末、ポストアポカリプスものの定義はなにかといえば、人類の文明が一度崩壊した後の世界を描き出すSF(サイエンス・フィクション)のサブジャンルになります。人類文明が崩壊する理由それ自体はなんでもよく、核戦争、気候変動、感染症の蔓延、隕石の衝突あたりが時代によって移り変わり(冷戦期は核戦争が多かったですが、今は気候変動や感染症が多い)、終末を迎えたあとの情景もさまざまです。

たとえば砂漠に覆われた世界(宮崎駿『風の谷のナウシカ』や鳥山明の『SAND LAND』)、氷や雪に覆われた寒い世界(藤本タツキ『ファイアパンチ』、ボン・ジュノ『スノーピアサー』、コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』)。逆に人間がいなくなったことで緑豊かになった世界(稲垣理一郎・Boichi『Dr.STONE』)までなんでもござれ。

ゾンビ・パニック系の作品もこのジャンルに含めるとその作品数は膨大で、最近もオリジナルアニメーションの『終末トレインどこへいく?』やNetflixのオリジナルアニメ『キャロルの終末』など、毎月レベルで新しい作品が供給されています。SFの中で宇宙を舞台にした作品などと比べてものすごく目立つわけではないものの、かなりの人気を誇るサブジャンル。しかし、なぜそんなにも人は終末に惹かれるのか。

終末ものの魅力はどこにあるのか

旧約聖書の『創世記』(6章-9章)のノアの方舟のくだりでは、神は堕落した人類に絶望し地上から一部を除いた生物を一掃するために、地上に雨を降らせ洪水を引き起こしますが、このように古くから人類は何度も文明が崩壊する様を描き出してきました。

この世の形あるものはすべて壊れますが、文明や文化、国家や共同体、人々の生活、そうした「当たり前に存在するもの」が崩壊した時、人類はいったい何ができるのか。立ち直ることができるのか、できるとして、どうすればそれが可能なのか。人間性や善性といったものはどれぐらい残すことができるのか──そうした、「もしも」の状況を空想の中で体験させてくれるのが終末作品の魅力だと思います。

と、終末作品の魅力について語ったところで、今回はそんな終末ものを偏愛するライターが「定番の名作」、「ベストセラー」、「個人的なおすすめ」の三点を軸にして、終末SF小説を紹介していこうかと思います。作品数の多いジャンルなので網羅的に語るのは難しいですが、今回紹介するのはどれも忘れられない傑作ばかりです。

名作──コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』

最初に紹介したい、終末SF小説ならこれは外せないでしょう! という名作枠は、『ブラッド・メリディアン』や『すべての美しい馬』など、苛烈な暴力を硬質な文体で描く傑作群で知られるコーマック・マッカーシーによる『ザ・ロード』。

物語の舞台は何らかの理由によって地上の文明が崩壊し、灰に覆われた終末後のアメリカ。文明の崩壊度は相当なもので、政府もなければコミュニティに相当するものも見当たらない。仮に道で人と出会ったらまず身の危険を確保せねばなりません。道や家の中には死体が転がっていて、食料の自給自足もろくにできないので、生き延びるためにはスーパーマーケットや家の中に押し入って缶詰などを探すしかない苦しい状況です。

主人公は父親とその幼い息子の二人。北緯では冬を越せないと悟った父親は、ナップザックとわずかな食料と息子とともに、暖かいはずだ、というわずかな希望をいだいて南に向かって歩き出します。二人は食料もぎりぎりで、5日間何も食べることができない状況もザラなので、息子は道中何度も、「ぼくたち死ぬの?」「ぼくが死んだらどうする?」と死や終焉について父親に問いかけ、父親もそれに対して「いまは違う」と力なく否定を返します。はたして二人は生き延びることができるのか──。

幼い息子はこのような状況下にあっても、飢えている人に食料を分け与え、自分たちを襲った危険人物であっても助けて欲しいと懇願する善性を発揮しますが、世界は過酷で、「善き人」であろうとすることにも限界がある。父親は、善き人であろうとする息子と過酷な現実の板挟みになり、葛藤していく──というのが本作のポイント。

実際、このような状況下になった時、自分はどこまで善性を発揮できるだろうか、と本作を読んでいるとつい考えてしまうでしょう。自分はこの息子のように、自分自身が飢えている状況で、誰かに食事を差し出せるだろうかと。

本作の一節に、『おそらく世界は破壊されたときに初めてそれがどう作られているかが遂に見えるのだろう。』(p.243. Kindle 版. )とありますが、これは終末ものの魅力、その本質をとらえた言葉だと思います。世界や文明が崩壊していく過程をみることで、逆にそれが作られたプロセスがみえ、その価値があらためて照射される。終末SFの魅力はだいたいここに詰まっていると断言できる、名作中の名作です。

ベストセラー──貴志祐介『新世界より』

続いて紹介したいのは、『黒い家』や『悪の教典』といったホラー・サスペンスなどで高い評価を受ける作家貴志祐介のSF系の代表作『新世界より』。現在は上中下巻の文庫が刊行されていて、合計100万部を超える大ベストセラーです。

物語の時代は今から約1000年後の未来で、神栖66町と呼ばれる人口三千人ほどの町が舞台になります。この世界ではとある理由からはるか昔に科学文明が崩壊していて、この時代の人々は科学技術ではなく、物を動かしたりすることができる呪力を文明の基盤にして過ごしています。主人公はそんな神栖66町で暮らす渡辺早季。物語は34歳の彼女が書いた手記という体裁をとり、その子供時代から幕を開けます。

文明崩壊後とはいえ世界はあらたな安定状態へと移行していて、神栖66町での日々も最初は牧歌的なものです。子どもたちの多くは10歳ぐらいで呪力を発現するのですが、その正しい使い方を学ぶために最初は《ハリー・ポッター》のホグワーツ魔法学校みたいな”全人学級”に入ります。そこで同い年ぐらいの子どもたちと呪力で切磋琢磨する平和な日々が描かれていくわけですが、次第にこの世界で何が起こったのか、その秘密が解き明かされていく──という構成になっています。

たとえば当たり前のように「呪力」といっていますが、これはなんなのか。なぜ、子どもたちには呪力が発現するのか? そもそも、なぜ栄えていたはずの人類文明は一度崩壊してしまったのか。彼らの暮らす町とその周辺には呪力を持つ者に従う巨大なバケネズミ、袋牛など奇妙な動物たちが存在するほか、たしかにいたはずの同級生の子どもが、いつのまにか姿を消し、みんなの記憶からも消えているなど、読み進めていくたびに違和感がひとつひとつ積み重なっていきます。

幼少期の渡辺早季は同級生の友人等と利根川の上流に夏季キャンプに行った際に先史文明が遺した「国立国会図書館つくば館」の端末機械と遭遇。文明崩壊の真実、また、呪力を用いた暗示によって事実上管理社会化された神栖66町の実態を知ってしまい──と、そこから先はアンストッパブル。散りばめられた違和感の謎にすべて答えが与えられ、最終的には呪力を使った壮大な戦闘/戦争にまで発展していきます。

終末ものの魅力──一度滅び、そこから再度やりなおすことができるのかというテーマ──があるのはもちろん、呪力を用いた能力バトル的な魅力あり、少年少女の学園モノのおもしろさあり、ホラー小説の名手らしく恐怖の演出も素晴らしく──と、あらゆる要素がハイレベルにまとまっている傑作です。今回紹介した三作の中でも、とっつきやすさとおもしろさのバランスでは一番かと。

個人的なおすすめ──N・K・ジェミシン《破壊された地球》三部作

近年の終末系SFの中でも僕が個人的にオススメなのは、アメリカの大きなSF賞のひとつであるヒューゴー賞を史上初めて三年連続で受賞した、『第五の季節』『オベリスクの門』『輝石の空』からなるN・K・ジェミシン《破壊された地球》三部作です。

物語の舞台はスティルネスと呼ばれるたった一つの巨大な大陸が存在する世界。ここでは数百年ごとに大規模な地震活動や天変地異が発生し、地上には冬が訪れます。この世界ではそれを〈季節〉と呼び、これが発生するたびに多くの人間が亡くなり、文明が滅んできました。とはいえ、この世界には造山能力者(オロジェン)と呼ばれるエネルギーを操作することのできる能力者らが存在し、彼らのおかげもあって人類はまだぎりぎり命を保っている──というのが世界の状況です。

しかし、巨大な天変地異に対抗しうるほどの能力なので、一般的な人間からすればオロジェンはたとえ自分の身を守るために役に立つとしても危険な存在です。エネルギー操作能力を的確に操作できるオロジェンばかりではなく、力が暴走すればたやすく周囲の人間に危害が及ぶ。そのためオロジェンはこの世界では激しく差別されるマイノリティでもあり、繰り返される破滅/終末というテーマと並行して、「繰り返され、終わりのない差別」もまた本作のテーマのひとつとなっていきます。

三部作を通して、オロジェンである母娘(エッスンとナッスン)を中心に物語は展開していきますが、この二人の活躍とこの世界での旅を通して、はたしてなぜ世界は破滅を繰り返すようになってしまったのか。それをもとに戻すことはできるのか。それとも、終わりもなく人々が争い続け、抑圧や差別が繰り返されるこんな世界は、救済するのではなく一度完全な破滅をむかえてしまったほうがいいのではないか──物語が進むごとにこうした問いが繰り返され、世界の真実の姿が明らかとなっていきます。

幾度となく繰り返される破滅。そして、終末SFがよく直面する「人類社会の秩序の崩壊」をはるかに超えたスケールの「惑星の終焉」を描き出そうとした本作は究極の終末SFといえるかもしれません。

おわりに

今回紹介した三作品はどれも「終末もの」でくくれますが、作品の世界観も描き出そうとしているテーマも大きく異なっていることが、本記事を読んでもらえればわかってもらえると思います。多様で豊穣なこの世界を偏愛するきっかけになってもらえれば幸いです。

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