私の周りの偏愛者 Vol.2 イカを愛する女
深く理解したいから「解剖」する
清楚で穏やか。好感度の塊のような人だな、と初対面で思った。ところがイカの話になると、印象が変わる。シュンッと真顔になり、早口かつ淡々とした解説マンにトランスフォーム。それは「酔っぱらっていて覚えていない」という時も、素面の時も変わらない。いつでもどこでも、イカへの愛があふれ出る。
今回ご紹介する私の周りの偏愛者は、イカを愛する会社員のMさんだ。
Mさんは出先で「いいイカ」を見つけると、買わずにいられない。その目的は料理でなく、解剖だというので「お、おう」となる。Mさんにとって解剖は、イカをより深く知ることができる手段なのだとか。ちなみに研究や仕事とは一切関係なく、純粋な「趣味」なのが面白い。
Mさんは、仕事と家庭を両立させつつ、時間を作っては自宅でイカを解剖している。今日はエラ、別の日は心臓(ちなみにイカの心臓は3つある)、また別の日は直腸……などテーマを決めて解剖していくという。そしてきれいにとれた部位を観察したり、残りを食べたり冷凍したり。
Mさんはイカ同人誌(を出しているのだ)で、こう語っている。
「解剖というのは、生き物を深く知るための方法です。切り開き、腑を分けて、からだの隅々まで観察することで、一層その生き物を愛することができるようになる気がするのです」
なるほど……と納得させられそうになるが、子どもの自由研究でもなければ、なかなか家で日常的に解剖できないわー。偏愛が生み出す行動力って、すごいな。もちろんMさん本人にも、「変わったことをしている」という自覚はある。
私は以前、理解されにくい趣味を持つ人を集めた飲み会を開催したことがある。そこに参加してくれたMさんは後日、しみじみこう語ってくれた。
「解剖が趣味だと話して、引く人がいない空間が最高だった」
日頃はイカトークを始めると、失礼な言葉を投げかけられるまでには至らないものの「え……ふーん……そうなんだ……」と、相手が言葉少なになってしまうという。なんと寂しい関係性なのか。でもMさんはたいして気にしていない。
「解剖して観察して何になるのか? って言われるとちょっと自分でもよくわからず……そこはまだ、答えが出てない部分ですね。でも好きだから、何度でも見たいので」と、Mさんは微笑む。
「イカの個体、種類によって、内臓の状態とか全然違う。それを見たり測ったり、記録をつけたりするのが面白い。いかにきれいに内臓をとるか、という試行錯誤の過程は本当に楽しいですね。解剖するたびに、 違う発見があるし」
解剖と言うと自分の場合は、中学時代の理科の授業で行ったカエルの解剖が思い出される。グロテスクなハプニング続きで(詳細は適当に想像してください)、阿鼻叫喚の授業となった青春の一コマ……。そんなろくな体験しかなかったが、Mさんに出会いイカの解剖に触れ、美しく学びのある解剖には、愛と技術そしてモチベーションが必要なことを学んだのであった。
イカでデートが台無しに!? でも「人生バラ色」と語る理由
Mさんがイカ愛に目覚めたのは、デートで訪れた水族館でのことだ。時は今から10年前。Mさんが20代の時だ。ちょっといい感じの関係になりそうだった相手と、葛西臨海公園を訪れた。そこでMさんは「生きているイカ」に初遭遇した。ガール・ミーツ・スクィッド。
「すごい、透けてる!!」
イカの透明ボディが、Mさんの心を奪った。そしてデート相手を置き去りに、水槽の前でたたずむこと数十分……当然マッチングは不成立となった。しかしこれは、Mさんの人生における僥倖だった。Mさんの人生が「イカ以前」「イカ以降」となる大きな分岐点である。
「私は埼玉出身だったんで、それまで白く濁ったイカしか見たことなかったんですよ。ところがあんな透明で、泳ぎ方も魚と全然違って面白い。群れで展示されていたのですが、シュンッ……シュンッ……みたいなシンクロも最高でしたね。イカってこんな生き物なのか! ととにかく驚きでした」
そこから発展したイカ愛により、ブラック企業を退社した(どういうこと)。
「当時は深夜2時まで働くことも珍しくなく、休日は疲れきって寝ているだけ。出会いもないし、楽しいことが何ひとつありませんでした。体調もいつも悪かったですしね。でも、他にできる仕事もないし……となんとなく勤めていたんです。ところがイカに出会ってからは、何もかもどうでもよくなってしまった。休日にイカも見れない仕事って何!? 転職を決めました」
そうして退職の準備を進めるなか、イカの趣味を理解してくれる相手と出会い、後に結婚。休日はどっぷりイカに没頭できる日々になったという。イカで人生が変わった女と呼べるだろう。
「他にもイカがきっかけとなり、できるようになったことってたくさんあるんですよね。イカの魅力を発信しようとすると、いろいろなスキルが必要になります。何かを書いたり、同人誌のためにデザイン作業をしたり写真を撮ったり。どれも、楽しいことしかありませんね。買い物に行って、イカの鮮度がわかるのも嬉しい。どこで見分けるって? そりゃ、体色と目ですよ」
「人生バラ色」と言い切れる人が、今の世にどれだけいるだろう。イカが素晴らしいのはさておき、偏愛を軸に人生の舵を切る力こそが、魅力の源なんだろう。
偏愛者の収納問題
Mさん宅の収納はこだわりの解剖グッズで占領され、冷凍庫は解剖前後のイカで埋め尽くされている。
「組織は小さいのでそんなに場所をとらないんですけどね……解剖道具が問題です。大きいイカを広げる必要があるんで、地味に場所を取るのはバッドですかね。この間も夫に、”自分のものが入らない!”と抗議されました。で、また顕微鏡を買っちゃった」
イカの話はクールなトーンだが、こういう時は「ふふふ」と笑うのが、また味わい深いお人柄である。余談だが、私の周りの偏愛者はこうした収納問題で揉めている家庭がいくつもある。特に偏愛の対象が生き物系の場合、コレクションや道具をディスプレイする方向に走ると、若干猟奇的な家になりがちだ。近所の子どもにオバケ屋敷扱いされているという知人も、複数人存在する。「ときめくかどうか」を手元に残す基準とする「こんまりメソッド」を適用したらどうなるだろう。対象物のすべてにときめく偏愛者の家は、日常生活の必需品からものが消えていきそうですね。
ただ、イカの場合は、解剖後に消費しやすいという点に優位性があるかもしれない。
「イカは再冷凍できますからね。食材としてもマジ優秀! 先日もホムパで、解剖後に冷凍しておいた身を刺身にして出したんですよね。解剖後だって言わずに」
イカは脂肪分が少ないことから、解凍と冷凍を繰り返しても、味がさほど劣化しないのだ。食べるベクトルに向かう趣味は時に栄養・健康問題がセットになりがちだが、イカの場合は脂肪分が少ないヘルシーなたんぱく源であるから、めっちゃヘルシーで申し分ない。
ちなみにMさんイチ押しのイカ料理は、頭蓋骨のから揚げだという。解剖の時に出た軟骨を集めて味付けして、から揚げのようにするのだとか。
「おつまみにぴったり。最っ高に、ビールと合いますよ!」
聞いているだけでたまらない、未知の珍味。レシピも知識も豊かになる、偏愛者とのおしゃべりは時を忘れる楽しさだ。
なぜイカなのか? Mさんがイカを愛するその理由
ところで「透明で美しい」というならば、クラゲも同カテゴリーだと思うのだが、そこでなぜあえてイカだったのか。それは「ギャップにある」と言い切るMさん。
「クラゲと比較するなら、クラゲは始めからキレイ〜癒される〜みたいな印象が強いじゃないですか。だからそこに、大きな衝撃はない。一方イカはたいして美味しくないし…くらいのイメージしかなかったんですよね。そうしたら、予想外の美しさでしょう。身近なもののギャップにやられてしまったんですよね。肉食なのもいいですよね。獲物に向かってチャーーーーッと行って、バリバリッと食べる姿もたまりません」
チャーバリバリ、ですか。前回(Vol.1「果物を愛する男」)と同様に、偏愛の対象となるものよりも、それを語る偏愛者の姿が圧倒的に楽しい。
人気ゲーム『スプラトゥーン』でもそうであったように、巷ではイカといえばタコ、タコといえばイカである。イカと近い生き物である、タコに浮気することはないのだろうか?
「いや、タコには市民権がありますからね。多分、タコ可愛いよねって人のほうが圧倒的に多いと思う。生き物の話をしているとよく、タコって頭いいんでしょ?とかも聞かれます。イカもタコも無脊椎動物の中では、体に対し脳の割合が大きく、神経が発達しています。だから間違いではないんですけど、心の中で”イカもだよ!”ってつぶやいています。イカはまだまだ市民権が小さい。だからイカは、私が応援しないと」
解剖がイカの市民権につながるまでには、壮大なストーリーが生まれそうである。ゴールがどこかはわからないが、そんなMさんの面白さを、私は応援したい。
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